最近読んだ「文豪たちの妙な旅」(河出文庫)の中の、中島敦著「虎狩」に次のような行(くだり)が。
「・・・彼と私との交際の間には、もっと重要なことが沢山あったに相違ないのだが、それでも私はこうした小さな出来事ばかり馬鹿にはっきりと覚えていて、他の事は大抵忘れて了っている。人間の記憶とは大体そういう風に出来ているものらしい・・・」。
『文豪たちの妙な旅』
似たようなことを私も書いていました。雑感382に「・・・な~んか、どうでもよいことはよく覚えているような・・・」と。
また海堂尊の「極北ラプソディ2009」(講談社文庫)には以下のような行が。
「・・・技術の進歩はすさまじいが、一方人間はそれに見合う進歩をしていないのではないか。無力な状態で産み落とされ、自分の意志で生き抜ける状態になるのに親がかりで十年以上掛かり、組み上げた社会に適応するにはさらに二倍の年月を必要とする。生れ落ちて三時間で自分の足で立つ小鹿とはあまりに違いすぎる・・・」。
『極北ラプソディ2009』
私も、既に結構前ですが雑感17に、同じようなことを書いていました。「・・・技術の進歩は目を見張るものがありますが・・・一番変わっていないのは人間です。だから同じ過ちを何度も繰り返すのでしょうが。生まれてすぐに立ち上ったり、・・・する赤ちゃんは未だにいません。・・・だから、きっと教育が大切なのだと思います」と。
私が書いたのは2017年で小説の刊行は2011年ですので、盗用したのかという話にもなりかねませんが、私は営利目的で書いているわけでもなく、雑感174に記した「考えることは皆同じ」の範疇ですね。
考えることは皆同じの帰省渋滞
この雑感もプロの作家並みのことが書いてある・・・そんなわけはないですね。
ツーさん【2025.3.24掲載】
葉羽 人の経験やそれに対して思う事は、そんなに違いが無いということかも。「人類皆兄弟」だからね(笑)