浦西和彦編「「酒」と作家たち」(中公文庫)の中の藤島泰輔著「川端康成氏の思い出」には、昭和46(1971)年頃ですが、川端康成がディスコに熱中していた話が載っていました。
ただし踊るのではなく、水割りを飲みつつ椅子に肘枕で、フロアで踊っているミニスカートの女性の脚を鑑賞していたそうです。
仏像も鑑賞するが・・
ノーベル文学賞受賞は昭和43年ですので、ノーベル賞受賞者がディスコに行っていたわけですね。へえボタンを10回くらい押したくなりました。
私が大学4年(昭和51~52(1976~1977)年)の頃はディスコのための音楽、ディスコサウンドで、曲ごとに違う振付けで皆が同じように踊るのが主流でした。
卒業間際くらいに同級生と、新宿の「カンタベリーハウス」なるディスコに2、3回行きましたが、見よう見真似で踊っていました。
カンタベリーハウス/ギリシャ館
最後に行ったのは新宿での卒論追出しコンパの後の2次会でした。何と恩師森謙治先生(雑感 3、52)も一緒でした(雑感 267)。
ノーベル賞受賞者も行くくらいですから、大学の先生が行ってもおかしくはない、ということでしょうか。
『サタデ・ーナイト・フィーバー』
私がディスコに行ったのはその一時期ですが、バブルの頃にお立ち台で踊っている様子や、某ディスコでシャンデリアが落ちる事故があったということは知っていました。
でももうディスコは見掛けませんね。たまにディスコサウンドのCDを聴いて、青春を思い出す程度です。
CD「70’s DISCO」(筆者提供)
そう言えば会社勤務を始めた頃に流行っていたキャバレーも、最近はとんと見掛けませんね。
店の名前がロンドン、パリ、ハワイ・・・世界一周できるかと思えるくらいたくさんあったのに。時代は変わる、ということですね。
ツーさん【2024.6.24掲載】
葉羽 キャバレーは一回だけ行ったな、就職したての頃、喜多方で(笑) あとはフィリピン・パブやロシアン・パブかな・・そういうの好きな先輩に連れられて。いやぁ、純情だったもんだからどうしていいか分からず「ご両親は健在で?」とか聞いてヒンシュクを浴びてた(大笑)