国立の工業高専では、二年連続の留年は放校処分と決まっていた。
一年置きに留年して10年在学した先輩もいたが、
そんな器用な真似がどうして出来るのか不思議だった。
自分は二年連続留年してしまい、放校処分が決まってしまった。
「これは手に職をつけるしかない」と覚悟を決めていた。
TVで調度、ショーケンが深川の板前さんのドラマをやっていて、
それが、妙にかっこよかったもので・・・
「よし、板さんになって、“前略、オフクロ様”って手紙を書くんだ!」
などと考えていた。
放校処分を知るやいなや、ただのノンべェだと思っていた
父の動きが凄かった。
F大の文部教官であった父は、
全国の教え子に連絡を取り捲ったのだった。
たとえば…
◆明大中野・・・寄付金不足で駄目だったらしい。
◆日大ブザン・・・多分、東北と同じ理由だったらしくバツ。
◆日大東北・・・「本校では指導する自信が有りません。」
(俺はそんなに悪かねぇ~。こらぁ、ビー部のヤマグチィ!)
散々、ヒトンチで飲み食い・寝止まりしといて、何を言うかぁ!
・・・どうやら、ヒトゴトのように、相当、転入は難しかったらしい。
そして「石川義塾」。
父が話しを決めたらしく、母と転入の面接へ向った。
そこはとんでもない田舎町だった。
F県石川郡石川町、山と田んぼしかないところだった。
面接官は、なっなっなんと、
「あ~空手部の塩君だぁ~!」
そう、F大海の家で、タップントイレに落っこちた僕を
ヒョイと掴み上げて、四ツ倉の海で洗ってくれた
空手三段の御兄ちゃんだったのだ。
生活指導部長?、なんだそれぇ~すげぇ~!
「先生(父)は御元気ですか?」
「xxxxx(兄)は、相変わらずですか?」
「○○○(姉)さんは?」
「スイマセン、これって僕の転入の面接ですよねぇ?」
「ヒデユキ君、その細いズボンはやめなさい。それと髪は耳が出るように切ってきなさい。」
(なぁにが、ヒデユキ君だ!!! このこのこのぉ~!)
・・・・・・・・・。
「ハイ、判りました。」
こうして、面接は無事に終了し、カッレジから、
ハイスクールへの転入が決まり、僕は学生から生徒になった。
田舎町に幽閉されて、大学受検を目指すこととなったのだった。
後で聞いた話だが、塩田先生は父の連絡に対し、
「ハイ、判りました。」とだけ答えたそうだ。
担任教師の態度などから、説得工作がいかに大変であったかは
想像にかたくない。
(なんて、男らしいんだ!!! 塩君ってば!!)
学校法人 石川高等学校 特別進学クラス 2年1組。
文化系の単位不足で、2年生からの転入となった。
「え~っ、またかよぉ~!?!?」
人生って、やっぱり、そう上手くは行かないらしい。
巷では「A君は東大、B君は東北大、C君は山形大合格だって!」
などと、同窓生の進退の聞こえてくる春のことだった。
最初の学力試験がやって来た。
特進クラスの成績は、全て掲示板に発表される。
「なにっ!3番だぁ・・・・・・」
なんなのだ、一体、この学力差は?????
あの、前の学校では、ビリなんですけど・・・
私学の経営は難しい!
学法石川高校は、今でこそ全国から不良の集まる
更正学園の様相を呈しているが、
その前身をF県下で最古参の「石川義塾」といい、
学徒の集まる梁山泊であった。
昭和初期迄は各界の著名人を多々輩出している。
その学風は文武両道にして、質実剛健である。
文武両道は、スポーツ特待生と奨学金制度に生き残っている。
野球部などは、山ひとつを切り崩した専用球場と
バス2台を所有している。
(これで、甲子園に行けなければタコだ!)
他に空手・柔道・剣道・自転車・ハンドボールなどの
強豪を有している。
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森 嘉種(もり よしたね)
(石川義塾校創設者)
←明治25年、森嘉種が当時中等教育の場が
なかった石川地方の青少年に
その機会を与えようとして
石川義塾を創設した。
福島県で初の私立学校である。
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だがっ!
「なにぃ、スケート部が無いぃ~!!!」
交通事故で足を引きづる様にはなっていたが、
そう簡単に負ける筈も無い!
僕はスポーツ特待生を狙っていた。
もくろみははかなくも崩れ、
僕はアスリートではなくなってしまった。
(SKIと出会って、アスリート復活となるのは何年も先のことだった。)
奨学金はなんだか恥ずかしいので辞退した。
僕がもらってしまえば、今までもらっていた内の
一人がもらえなくなってしまう。
それは、とても気の引ける事象であった。
紙切れ一枚で買える幸せなんてある筈も無いのだが・・・
「卒業証書」という名の紙切れ一枚の為に、
僕は当たり障りの無いように
「うつむいて暮らそう!」と心に決めていた。
この時代遅れの田舎町で、STONE-LIFEを決め込むのだと!
さて、転入が決まったので、次は住居だ。
なんとあてがわれたのは、石校から100mと離れていない
旅館の一室だった。
小説家みたいでいいなぁ~などと思っている場合ではない!
これは、まったくプライバシーが無いと言うことなのだ。
実際、担任は度々訪れてくるし・・・
学校帰りの生徒の溜まり場にはなるし・・・
障子と窓に囲まれた部屋の外で・・・
旅館の女将は常に目を光らせているし。
まったく、息をつく暇さえないのだ。
僕は、一刻、一刻と時が過ぎるのをただ待っていた。
そんなある日の真夜中のこと、そう、正に丑三つ時だ。
ガタン、ビシャーンと障子の開く音で目が醒めた。
「あれぇ、塩君、基、塩田先生!なにぃ?なんですかぁ??」
「ヒデユキ! 逃げるぞ火事だ!」
「えっ、なに、なにぃ?? かじぃ???」
「ヒデユキ、急げ!」
着の身着のままで、下宿先の旅館を飛び出していた。
となりの家がごぅごぅと燃えているではないか!!
やがて、消防車が到着して消化活動が始まり、
僕の部屋は水浸しとなった。
なんとなく、とても情けなかった!
住みたくもない田舎町、パジャマ姿の自分、
燃え盛る炎への恐怖・・・
それにしても、消防車もまだ来ていないのに、
教え子を救うために駆けつけてくれた!
塩田先生の到着があと数分遅ければ、
きっと自分はこの紅蓮の炎に包まれていただろう。
轟々たる炎を見つめながら、僕の頭は混乱していた。
「人生って夢なのか?」
「これって、夢なのか??」
恐怖でもう何も考えられない。
僕は、こうして、うっとうしいとさえ思っていた
この田舎町の先生に命を救われた。
なんだか、ジワっと来てしまった・・・
火事の後、塩田先生宅に御世話になることになり、
しばらくたって下宿先の旅館へ戻った。
とにもかくにも、自分に取って大切な人のことってのは、
気付かずにいる事が多いらしい。
間違いと勘違いで大抵の時間を浪費してしまうのだ。
今一度、周囲を見まわしてみよう!
何気ないただの知合いが、
本当はとても大切だったりするんだから・・・
反目していた父に助けられた事が悔しかったりもした。
あの人は、空から僕を見下ろしては、
また、小馬鹿にしているに違いない。
でも、まぁ、家族だけは大切にすることにしよう!!!
上を向いたらキリがない 下を向いたらアトがない
泣いてたまるかっ! 夢がある
(by 朱雀RS 2012.5.5 リニューアル・アップ)
葉羽さま 配信有難う御座います。
即効、UPで驚いています。
葉羽さま、休息は充分に取っておられますか?
健康が一番ですぞ。
御気を付けあそばせ!!!
いやぁ、我ながら恥ずかしくなってきてしまいました。
日記に毛の生えたような文章で、面白いのでしょうか???
もっと、ギャグをいれてみようかしら・・・・・?
などと調子に乗って作家気取りの日々です。
なんだか、自分に取って新しい一ページのような感じです。
自己分析しますに、コミュニケートに喜びを感じているようです。
極度の学歴コンプレックスだったので、
まわりが、まぶしくて仕方なかったのですが、
この歳になればねぇ!!! ははは・・・・・
最近、少しだけ自分が愛せるようになりました。
世界が広がっていく感じ、判るかなぁ?????
そうそう、FAIR-WIND、ようやく落ち着いて聞きました。
ステキなBACK-MUSICを有難う!
ANGEL様:「母へ(愛するもの全てに)」
’独りよがりな一人芝居・・’の下り
とても気に入ってしまいました。
愛すれば愛されることを欲っし・・・・・・
ずっと、そう思っているのですが
ONEWAY-TICKETが多いもので・・・
身内でもズレるのに、他人ならもっと・・・・・
さぁて、新しい恋でも探しに行こっと!!!
まだまだ続く、アンラッキーな話し
御気に召せばよろしいのですが・・・・・
(さりげなく、宣伝迄してしまった!)
朱雀RSでした。 |