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その60「会津は負げねえ。の巻」 | |
ピカイチ君が大河ドラマ「八重の桜」に関して、「束松峠秘話」をFacebookに採り上げましたので、部分的に“その19「束松峠秘話」”の再掲となりますが、もう一度アップします。 「八重の桜」は今日から京都に展開していきます(8月4日の記事)が、TVの補足です。 秋月悌次郎が昌平学(今の東大)で親友の宿敵長州藩奥平謙輔から「今は敵味方になったが、貴方を失うのは日本の損失、一緒に新しい国を作っていこう」と熱い手紙をもらい、開城後密かに会津の将来のため、少年の山川健次郎(後の東大・九大総長)を連れて奥平に託し、新潟に行った帰り、この越後街道束松峠(会津坂下と西会津町境)で、以下の漢詩「北越潜行の詩」を読むのです。 有故潜行北越帰途所得 会津 秋月胤永 (あきづき かずひさ) 行無輿兮帰無家 行くに輿無く 帰るに家無し 國破孤城乱雀鴉 國破れて 孤城雀鴉乱る 治不奏功戦無略 治は功を奏せず 戦は略無し 微臣有罪復何嗟 微臣罪あり 復た何をか嗟かん 聞説天皇元聖明 聞くならく 天皇元より聖明 我公貫日発至誠 我公貫日至誠に発す 恩賜赦書応非遠 恩賜の赦書は 応に遠きに非ざるべし 幾度額手望京城 幾度か手を額にして京城を望む 思之思之夕達晨 之を思い之を思うて 夕晨に達す 憂満胸臆涙沾巾 憂は胸臆に満ちて 涙は巾を沾す 風淅瀝兮雲惨澹 風は淅瀝として 雲は惨澹たり 何地置君又置親 何れの地に君を置き又親を置かん
胸を締め付けられる漢詩です。 この束松峠に立ち、会津盆地、会津磐梯山、山々の稜線を眼下にするとき、先人の想い、地域の想い・・・・。 感傷ではなく、今会津の誇り、日本人の誇りといった心のよりどころ、未来に引き継いでいくべき会津の歴史街道であるように思います。 亡くなった元竹内会津坂下町長が私に「歩く県道つくっぺ」と話され、地域の人が汗を流して道路を整備し、いま秋月悌二郎の漢詩碑、銅像(?)建立に燃えていると聞いています。 8月18日の放送では、八重が離縁された尚之助と江戸で再会するシーンがありました。 泣きながら「もう一度側において欲しい」と懇願する八重に対し、斗南に移封された会津藩の人々を守るために自ら犠牲となって刑事被告人となった尚之助は、八重の将来を思い、心を鬼にして「二度とここへ来るな」と言います。 八重が去ったのを見届けると、声を殺しながら男泣きに泣くのですが、このシーンたまりませんでした。このところ、日曜の夜は泣きっ放しです。(うっうっ・・)
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