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 その6 信念を持つということ 

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“Walking Man” by Music of my Mind

鞍馬 私は昔からひととコミュニケーションをとるのが苦手です。

 大学二年生のころ、サークルの仲間から「何を考えているか分からない奴」といわれていました。

 当時は「秘密主義だから」と言い訳を言っていたのですが、本当はそのことが原因ではありませんでした。

 私には、信念が無かったのです。一本筋の通ったものがまったく無かったのです。

信念の花

信念の花

 誰かに話しかけられたり、意見を求められたとき、自分はどう思うか、どうしたいのかを考えずに、相手がどんな答えを期待しているんだろうとか、かっこいい自分を演出するために何て言うべきなんだろうということばかり考えていました。

 それが自分を高く見せるのに、有効な方法だと思ったからです。ですが、それは完全な間違いでした。

 そんなことを繰り返していてうまくいくはずがありません。その結果が、冒頭のサークルの仲間からの言葉です。

 その理由はあまりに簡単で、相手の聞き方によって答えを変えるようなひとは信用ができないからです。

信念

信念

 しかも、信用できないのは、相手によって答えを変えていることがばれるからだと思っていましたが、実はそうではないのです。

 本当は、信念が無いから、その結果として同じ相手に対してすら一貫した受け答えができないから、信用できないのです。

 さらに本人はそのことにまったく気付いていないのです。かっこいい自分を演出しているはずの自分に酔っているのです。本当はできていないのに。

 私はこのことに気がつくまで、4年もの時間を費やしました。

 そして気付いてから数年間ずっと、「信念を持とう」「信念を持つということはどういうことか?」をいつも考えて生きています。

◆ 自分なりの選択肢と選択基準を持つ

 信念を持つために、「何故そう思うのか?」という質問を自分に繰り返すトレーニングをしています。

 ひとに尋ねられて、とことんまで説明できないようなことは大体が思い込みか受け売りです。

 たまたま正しいこともあれば、間違っていることもあります。そんな50%の確率に自分の成功を左右させるのはあまりに不合理です。

右か左か・・

右か左か・・

 疑問に突き当たったとき、出所の明らかな情報を集めて、それを一つにまとめて自分なりの選択肢と、どれを選ぶべきかの判断基準を作ります。

 この作業を続けると、大概の質問には即答できるようになります。これがすなわち信念です。

 予め選択肢と選択基準が決まっているわけですから、間違っていたことが後で分かった場合でも、すぐに改めることが可能です。

 どんな情報が足りなかったのか、選択基準のどこがいけなかったのかを考え、次回から同じ間違いを犯さないようにします。

選択基準

選択基準

 なので、信念は不変のものではなく、常に変わりうるものであると考えています。

 もっと言えば、未完成の信念を常に向上させる作業を続けなければならないということだと思っています。

 こう信じて生きていると、年を重ねるほどに固定観念が凝り固まって、考えを変えなくなるという、陥りがちな誤りも回避できるのではないかと思っています。

◆ 言い訳けがましい子ども達

 今、自分の子どもにどうしたらば、常に考える習慣を付けさせることができるかで悩んでいます。

 行き当たりばったりでは上手くいかないことになんとかして気付かせたいと思っています。

 最近やってみていることは、子どもの発言や行動について、「それ何でだっけ?」とたまに聞いてみることです。

子供への質問

子供への質問

 たとえ、多少納得できない理由でも「そうだね。」とか「よく分かってるなー。」とだけ言います。特に答えの誘導はしません。

 あくまで自分の意見を言わせることが目的ですから。

 しかし、残念ながら、目立った効果といえば、最近子どもが少し言い訳けがましくなったことぐらいですが、いずれ大人になるにつれ、「言い訳けをしたくなる気持ち」「信念」の違いも分かってくるだろうと考え、しばらく静観するつもりです。

鞍馬【2019.9.1 リニューアル・アップ】

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