【日々懐古館便り】#003~笠信太郎
「そういえば、あの頃、あんな人、こんな人がいたなあ」シリーズ第3話の主人公は、笠信太郎(りゅうしんたろう, 1900-1967)。 明日12月4日が命日。
「長屋の花見」という落語がある。
二人の男が、向島で花見客に酒を売ってひと儲(もう)けしようと、酒を入れた酒樽を運ぶ。その途中、片方の者が自分の所持金を相棒に払って酒を一杯やる。カネを渡された相棒が、今度はそのカネを払ってもう一杯、すると片方の者がまたそのカネを払ってもう一杯……。それを繰り返して、向島に着いた頃には酒樽の酒がなくなっていた。二人はすっかり酔っ払い、売上げは所持金だけだったという噺(はなし)である。
まるでバブル経済を絵に描いたような話の例としてよく用いられる。
これをヒントに「花見酒の経済」を唱えたのが笠信太郎 。
朝日新聞の論説委員・論説主幹等を昭和23~37年まで通算14年務めた名物記者だ。
戦前、近衛文麿の取り巻きとなり、国家総動員法の発動を推進し、大政翼賛会創設の推進力となったという経歴を持つ。
一方、1960年の第一次安保闘争では安保条約の改定反対、岸内閣退陣の論陣を張った(写真は、拙宅書架にある「笠信太郎全集」(朝日新聞社、昭和44年発行)内の岸内閣総辞職要求社説)が、東大女子学生(樺美智子さん)が死亡すると、一転して「暴力を排し 議会主義を守れ」という7社共同宣言を発する中心的役割を担い、反対運動に冷水を浴びせたこともある。
湯川秀樹らと共に世界連邦運動を提唱し続けたりもしたが、なべて振り返ってみると、大いに眉唾物の人だったと言えなくもない。
朝日新聞はよくクオリティ・ペーパーと言われるが、現在でも、時折「日曜に想う」というコラムで昔の政局を書き連ねて教訓めいた記事を書くものの、政権への直接的批判は極力避けるという不思議な人物・S編集委員子がいる。
2005年の朝日新聞記事捏造事件の当事者でありながら部下に責任を取らせて追放、逆に自分は昇進した人であり、前政権下ではいわゆる「スシロー」の一人だったから、なるほどなと納得してしまう。
他にも、社長から加計学園系大学に天下りした人もいるから、朝日だからといって信頼できるとは限らないことを肝に銘じている。
毒舌亭(2020.12.16up) |