【昭和 listen】#253〜さらばハイセイコー(昭和50年)
就職したての若い頃、土曜日は午前中のみの勤務だった。
いわゆる「半ドン」の日で、午後は、同僚たちと共にイソイソと職場から2.2kmほどの近くにある福島競馬場へ馳せ参じたものだ。
ここはれっきとした中央競馬の競馬場であるが、最も小さい競馬場でもある。
大正7年に建設された長い歴史があり、昭和4年には、史上唯一となる全頭落馬による不成立レースが発生したことがあるそうだ。
安月給なので毎レース馬券を購入できるはずもなかったが、そこそこ楽しめた。
この頃のことだ。地方競馬で6戦6勝を達成した後中央競馬へ移籍し「地方競馬の怪物」として大きな話題を集めたのが「ハイセイコー」。
福島では走らなかったと記憶するが、弥生賞、スプリングステークス、皐月賞、NHK杯と勝ち進んで人気が沸騰し、第一次競馬ブームの立役者になった(第二次ブームはオグリキャップの頃)。
ダービーでは3着馬でタケホープに敗退(2着はイチフジイサミ)したが、人気が敗戦によって衰えることはなく、むしろ高まっていった。生涯成績は22戦13勝。
そのハイセイコーの騎手・増沢末夫が『さらばハイセイコー』のEPレコード(CDではない)をリリースし、オリコンで4位を獲得したのが昭和50年。
あちこちの歌番組でさして上手でもない歌声を轟かせたのが,今となっては懐かしい。
なお、作曲は福島県会津坂下町出身の猪俣公章。坂本冬美は内弟子だった。
何年か前、福島県立医科大学に交換留学で来福し我が家にホームステイした台湾・高雄市の医学生を福島競馬場に案内して喜んでもらった(台湾には競馬場がないそうだ)のを最期に,ここには足を踏み入れていないのが残念だ。
♬ さらばハイセイコー / 増沢末夫
https://www.youtube.com/watch?v=6eaRRPCprdg
毒舌亭(2024.2.21up) |