先だって、メルマガである先輩のエッセイを読みました。
彼は、「人生ノート」の橋本先輩同様に、職場で一緒になったことのある大先輩で読書好き。
気になった言葉を手帳に書きとめているというのも同じですが、最近は短歌なども書きとめているのだそうです。
ということで、最近書き留めた三首の短歌を紹介するという趣向でした。
(※以下、メルマガより部分引用)
まずは、江戸時代後期、五代目市川団十郎の作と言われている歌から。
「たのしみは 春の桜に秋の月 夫婦仲よく 三度喰ふめし」
次は、幕末、福井にあって清貧の中に生きた歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)の有名な一首。
「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」
そして、時代はぐっと下って、戦後間もなく31歳の若さで世を去った北海道の女流歌人、中城ふみ子の一首。
この歌は、最近、某週刊誌に掲載された渡辺淳一氏のエッセイの中で見つけました。
「かがまりて 君の靴紐結びやる 卑近なかたちよ 倖せといふは」
いかがでしょうか。
詠まれた時代、詠まれている事柄は異なるものの、いずれの歌にも共通しているのは、何気ない日々の営みの中にこそ幸せは宿っているのだという確信でありましょう。
物質的な豊かさに恵まれ、一時代前の日本人から見れば、まさに王侯貴族のくらしをしながら、八方ふさがり、閉塞感が声高に叫ばれて久しい我が国の現状を見るにつけ、これからの時代大切になるのは、こうしたものの見方、考え方であると思います。
(以下省略~引用終わり) |
最後に出てくる「一時代前の日本人」という喩え、別の先輩もよく口にしていました。
僕らの親父たちは戦争に行きました。
ようやく戦争が終わると、そこに残ったのは焼け野原だけでした。
|
あの頃は… |
携帯電話? コンビニ? インターネット? 電子レンジ?
いえいえ、僕が小さかった頃は、テレビも冷蔵庫もまだ生まれていませんし、自家用車を持てる家などほとんどありません。
ウォシュレットどころか、トイレもお風呂も水道もありません。
共同のぼっとんトイレや銭湯通い、共同井戸への水汲みが当たり前、国民皆年金もないし、生活保護は不十分だし、お医者など数えるほどしかいませんでした。
|
あの頃は… |
水道をひねってお湯が出るなど、まさに王侯貴族のような夢の話だったのです。
その“当たり前の事実”を知っている子供たちが、どれだけいるでしょう?
いいえ、その親たちをも含めて・・・。
「昭和の文化」が持てはやされていますけれど、ノスタルジーではなく“ものの考え方”をこそ、伝えて行きたいものです。
《配信:2009.7.31》
葉羽 退職したら、そんな生活になるのかな…。 |