<soul-110:THE END> 真野
「何も出ないよ」
いかめしい顔を作る真野に告げずに心の中で呟く。
――年寄りの前におばちゃんか。
あの時とは違う濃い茶色の髪が、切ってもらってから少し伸びている。これから皺も新陳代謝を繰り返し、パツパツと再び張りを取り戻すだろう。
明はふいと後ろを振り返って
「ケツが濡れてる」
「だーから言ったでしょっ」
踊る仕草の片手を放して、尻を擦りながら、さもついでに思い付いた口調で明は真野に云わずにはいられなかった。
「産まれて来る時は、どんな形であれ母親がいる。
死ぬ時はもし一人に見えたって、誰かしらの影はある。
本当に生まれて死ぬ時、一人の奴なんてきっといない」
正解じゃないとしても、この先どんな悲しみが待っていて、いつかは潰える命だとしても、あいつらは活き活きと俺達に見せつけた。全身をくまなく流れる歌とリズムが叫ぶ。
この歳まで生きて、不幸だと感じて来たもので今がある。
楽しいだけじゃ苦しかった。ずっと安心したかった。意地を張り続けて来た自分が、ただただひたすらに自分を見てくれる人間を欲し続けていたと知る。
誰にも見られていないと思って来た。
目を瞑る。目を開けると真野がいる。
真野の悪戯っぽい口の端が上がっているのに明は気付いていた。
まだつながれていた方の手を突き上げて、くるっと思い出した通りに腕を回すと、真野を反回転させることができた。
傍から見ればただのふざけた酔狂も、二人だけには、音と歌が空に浮かんでいくのが見える。
快活な笑い。しわがれた声。艶っぽい笑みや、キョトンとした少年の目。威勢のいいドラ声。
流れる音と声と同じ、降り注ぐ太陽光は胸を擦り抜け、風は耳の鼓膜を鳴らす。初夏に向かう息吹と混じり合い、最後までやかましい連中が、今も胸に踊っている。
明はステップをゆっくりと丁寧に真野に合わせて静かに踏んでいた。
真野の足元では、まだ脚力の足りない擦り足が、土と小石をゴム製のスリッパの先に引っ掛けて溜めていく。それでもステップはリズムを忘れはしない。
明は込み上げる動悸に見上げたけやきの大木の葉が重なって、雨露をふんだんに吸い込んだ若葉色を見つめた。透き通るような黄緑は、命の色そのものだった。喉を突いて声に出た。
「美しくなんて生きていけないってよく言うだろ?
でもきれいだったよ、みんな。可愛かった。爺ちゃん達でさえ」
真野はステップを擦り足で踏み続け涙ぐんだ。
歌は無心にさせた。なのに魂は見えた。
あれほど執拗に覆っていた、思いを寄せた彼女の幕も何もかもが、ひっくり返された。
新しいことに踏み出すのはいつも怖い。明は思う。
俺は考えなしだった。今も考えなしだ。
だけどもさ、誰に言うのか、あいつらか、目の前の真野か、計りしれない何かに、明は胸の内で打ち明ける。
俺を考えてくれる。これから待ち受ける相手はどんな人間かはわからない。だが他にも段々に増えて繋がって切れて又会える。とめどなく、答えなんかどこにもなくとも。
「掌の向こうにあいつらはいる」
握った指に力が入る明に、真野は潤む視線を逸らしたが、堪え切れなかった溢れる涙がコロコロと頬をこぼれた。
「やっぱり一人はつまんない。来てくれてありがとう」
呟く真野の優しい声に答えを見つけていた。
我が道を行く体に見せかけて、人の目ばかりを気にしてきた。だがやっと、あのダンス以来安堵できた。あの時の胸の熱さが、柔らかな光になって真野に咲いている。
自由でいい、この時だけでも、この先も。止める術が見付からない。
「生身の真野に、ものすげえ触りたかったんだ」
まだ折れそうな細い身体はめきめきと力を付けるだろう。
コロコロコロコロ涙は真野の頬をつたって転がり続ける。透けて消え去らない涙は、あの曙の海の波の粒に似ている。大事にしようと思う。
顔全体が涙で濡れても、明を見つめて会心の笑みを讃える真野を、生身の明は思わず体が抱きしめた。
お互いの顔が見えずに、それでも二人には涙目で笑みが零れる。
嵐の後の上空には、風雲の煌めきが水平線の遥か向こうから便りのように夏を、吹き抜けて広げ始めていた。
【2018.6.15 Release】 -----THE END-----
森晶緒
投稿開始より丸々十年
本当に、色んな事がありました。
福島も社会も色んな事があったと思います。
まさかここまでかかるとは、思ってもいなかったのですが、ラストまで辿り着いて良かったです。
肩の荷が下りました。
読み返してみれば
ラスト近くまでしっちゃかめっちゃかな内容で、よくお付き合いいただいたと逆に申し訳ないほどの稚拙さですが、
当時ならではの若さも溢れていたようにも思います。
今だから辿り着いたこのラスト。
当初の設定はそのままですが、台詞や内容は大きく変わっております。
私の情動も、世界観も、目まぐるしく変わりました。
葉羽様
皆さま、このようにこの作品を一つ発表するこの場を与えていただいてありがとうございます。
今だからこそ、
最後にこの話を
川端三喜子先生
大沼先生
ネイザン=イングラム氏
に捧げます☆