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この度の震災、続いてのお母様のご逝去、大変お悔やみ申し上げます。 震災のストレスもあったのでしょうか。やはり惜しまれる、まだ早いお歳だったかと思います。 お父様の介護も、これから続いていくこと、大変ではありますが、私にはあまり他人事とは言えません。 我が父母も、かなりの高齢になっていますし、何より震災からこちら、急に歳が感じられる、体や心の老いが、労らねばとは思うのですが、まだ少し受け入れられない半分、面倒をみなくてはと言う自覚半分でおります。 特に母は、葉羽様の「母に贈る言葉」で読ませていただいた、お母様の境遇に、とても近いものもあり、その人生を踏ん張ってきた今現在の母にもう苦労はかけられないと、焦りにも似た気持ちでいます。 本当にとても似ていて、和裁洋裁をしていたのや、会社が上手くいかなかった苦労など、重なる点が多かったのです。 又、祖母の介護は、家中で10年近くしておりましたので(祖母は既に亡くなりましたが、その天寿は98歳と、大往生でした)精神的な疲れと、肉体的な介護の難しさは、まだ鮮明に覚えています。 そして震災後も、この福島には精神的な負荷が強く、これからどうしていけばいいのか、楽観的な希望ばかりでは落ち着けない現状があります。 それでも明日を信じて歩むしかないのなら、せめて優しい気持ちは、早く取り戻したいとは思うのですが、なかなかうまくはいかないことも多々あります。 葉羽様は実際に被災して亡くなられた方も知り合いにいらっしゃるとか、ロバートさんの南相馬の話も、一度読まなくてはと思いながら、まだその前景を見る覚悟がつかないでいます。 普通に生活する一方で、苦痛に苛まれている方、不安に包まれたままの方、たくさんの苦労を、私はどう受け止めて、どうすることができるのかは分かりませんが、ただ一つ、これだけは強く感じたのは「書いてゆこう」と言う決心でした。 それは自分の命さえ、自然の前や状況によってはいつどうなるかわからないと言う、震災経験の心配もありましたが、とにかく、「書きたい。書いていく」と強い思いにかられ、又何ができるかと言う事は、私の場合は「書いていく」事かと思い、今も仕事の傍ら作品を作っています。 それがどれだけの人に伝わるのか、表現できるのか未知のものではありますが、私はただただ何かを感じ、吐き出す場所が作れればと思います。 葉羽様も、悲しみや辛さ、疲れ、大変さ、重なって重いながらも、夢中でやるしかない時なのかと思いますが、負ける負けないの問題ではなく、吐き出して立ち上がり、又吐き出して立ち上がる内に(それは楽しみでも辛さでもどちらでも)日々が緩やかになる日が来ると信じております。 その時に、精一杯やったことへの安堵感があれば、そう祈っております。 確かに感じる過ぎゆく寂しさと、生きている幸せが、普通に支えてくれる日を取り戻したいと願っています。 お母様の心からのご冥福と、葉羽様のその命を引き継いだ、今後の生き方をお祈り申し上げます。 Written by Akio (2011.7.2up) |
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