アッキー
今日、白河市まほろんの福島県考古学史の企画展に行った。
弥生前期の御代田遺跡も見学。
山形考古も今年50周年で参考になつた。
社会人大学院時代の後輩とも偶然出会う。
帰り、3月のH間さん最終講義にあつた
上杉景勝が徳川家康を迎え討とうとしたと言われていた
遺構の革籠原防塁?も初めて行く!
天気も良かった。5/8まで。
ということで、やつと来た苦笑。
改めて目黒吉明先生と梅宮茂先生の偉大さと、
山形と同じ当時の高校生の凄さがわかった。
実測図はよく見る福島県の弥生前期の標識遺跡、郡山市御代田遺跡。
図の番号と比較できる展示で良かった。
革籠原防塁?。
Googleマップでもこの名前でマーク出てくる苦笑。
でも周辺遺跡の調査で発見された道路跡や一里塚の位置から、
多分違うと分かった事例としてH間さんが報告。
上から。
一里塚。塚間は約10m。
山形にはもう近世初頭に主要街道の両脇に作られた一里塚はない。
写真奥が旧奥州街道。
確かに旧奥州街道と防塁が平行し、
防塁の役目なさないような苦笑。
弱点はまほろんで元同僚のH川さんに、
H間さんが言ってた上杉防塁?と遺跡に
行つてみたいんですけど車で何分位ですか?と聞くと、
ここから歩いてつた方が近いですよ笑と言われたこと照笑。
少し調べてから聞きます苦笑(^_^ゞ
《配信:2022.5.5》by akky
葉羽 そりゃぁ、恥ずかしかったね~(笑) |