
アッキー
先日、昨年の報告書繋がりや旧家に伝わる絵図の調査で、
遊佐町の鳥海山山麓の鳥海修験行場などを
地元の方に案内して頂き歩く。
地形や植物、動物の避け方なども教わる。
弱点はマスク付けて道なき道を進むので、
ついて行くのがやつと 。
スケール代わりに持って行ったバカ棒君が
杖と武器代わりで大活躍笑!
ということで、下は遊佐町高瀬峡。
ここまで車。
天気良かったので観光客の方もいたが、
こちら作業着長靴の完全防備で浮く苦笑。
1番奥の大滝(安楽坊滝)が、庄内で最古の須恵器窯がある
剣竜神社(旧剣積寺)の宿坊の一つで、
剣竜滝などもあり、行場の伝承が残る。

右上が地元で不動様と呼ばれる崖上にある石ムロ。
左側が剣竜滝。

石ムロ。よじ登るしかないと言われ、
どーします?と言われたが、
午前中から歩き通しでこのご時世事故もまずく、
OS1も無くなつていたので次回へ。
あー弱くなつたなー笑。
最奥の大滝(安楽坊滝)。
家に戻って本読んだら近くに祠があるとのこと。
あーただただ涼んでた 苦笑。

明治の地図には登山ルートがあり、今は誰も知らない、
近世絵図には庄内藩直轄の松林があつた可能性のあるところ。
左側の松林はもしかして!
あと砂丘は黒松、山は赤松も初めて知る。

突然ガイドさんが足を止められたのでどーしたと思ったら、
行く時は鹿の足跡なかつたとのこと。
足跡フレッシュだから、
さつきどつかで俺達を見てましたねとのこと。
おいおい恐笑 。
あと、熊は沢が水の音でお互い聞こえなくて
知らないうちに近くになる時あるから注意!とのこと。
もう沢には降りれません笑 。

近世後期の水路。
文献にも村同志で3:7で分ける記録があり、
手前のはそれ以後に引かれた水路。
今でも石詰まつたり比率違うくなつていないか
村の人が定期的に見に来るという。

近世後期の水路の場所。
もう道ありません悲笑

この研究会の手伝い。
友人が表打ち込みするので題名読んでつてもらえますか?とのこと。
えー数字の5というと、
植松さん江戸時代なんで算用数字まだないのでは。
友人:あーこれ略字でよりつて読むんです。
俺:確かに。でも絶対だか?。
友人:うーん多分絶対です。みんな知ってます苦笑。
俺:…。
友人:すいません植松さんあつちで
写真の手伝いしてもらつてもいいですか?
俺:了解悲笑。
《配信:2021.9.16》by akky 

葉羽 そいつちょっと先輩を小ばかにしてないか?一回シメてやったら?(大笑)
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