葉羽 前回の#310「松の木枕」古文書講座巡見シリーズの後編です。
アッキー
薬師公園の数ある石碑の中で、
野口先生がこれだけは見ていつて下さいという、
明治に東北最初の写真家菊地新学のお弟子さんが建てたイチオシ顕彰碑。
写真や菊地は知っていたが、野口先生曰く、
彼はもっと地元で知られ評価されるべきだが、
市で看板も出さないしとのこと。
定番円応寺。
戦国大名最上氏の祖、斯波氏が最初に山形入部した時に
居城にしたかもしれないお寺。
確かに大きい通りにデカい石碑があるとは思っていたが、
江戸時代はここが入口と認識されていた(月山・鳥海山)両所宮神社入口の名残り。
奥の酒屋さんとの間の通りが参道。
現代も続く両所宮の穀様し(こくだめし)の棒と土台。
全国的にも珍しい穴の中に穀物を入れて、
その腐朽具合で翌年の豊作を占う祭祀。
野口先生曰く、普通は腐るが、扇状地の湧水帯で
水位の上下と豊作が関連し占いが当たるのではとのこと。
弱点は多分この回、他の用事で聞いてない気がする、新鮮苦笑。
松の木枕の穀様しの挿し絵。同じ棒だと感動。
また、講座の会員で、元両所宮神主さん宅の石碑も見学。
市内で最後まで残った江戸から続く金具屋さんの話しや
北野先生も注目するという野面積みの民家石垣も見学。
多分山形考古学会巡見でも行った安山岩。
矢穴ないかさつーと見る。
野口先生が健脚で皆だんだん遅れ始める苦笑。
大手門前の通りから北へ行き、
旧月山越街道(元R112)の屈曲道で下条に抜ける途中。
江戸時代に心太(ところてん)が名物だつたお店があつた場所。
挿し絵あり。
山形城三の丸の東側土塁は有名だが、北側の土塁の名残り。
石垣は現代。
城北女子高近くの、他の北側の土塁の基礎石垣?うーん?
同上、反対側より。
野口先生曰く、ほら土塁だから右側高くなつてるでしょうとのこと。
以前、車で三の丸回った時には気付かず。
やつぱ歩きか自転車でないとダメだなと思う。
文翔館に戻り結局13時半解散。
野口先生以外、全員へこたれる苦笑。
帰り、行ったことがなかつた地元薬師公園の
建物の移設元のもみじ公園に寄る照笑。
もみじ公園だから遊具ある公園と思ったら苦笑、
鯉が泳ぐ庭園だつた。
道は細いが、駐車場あるし無料なので、
子供小さい時くれば鯉と遊べて楽しいかもと思った。
《配信:2024.4.18》by akky
葉羽 お疲れさまでした~! |