岸波通信その68「ノアの住む国」

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Present by 葉羽
祈り」 by TAM MUSIC FACTORY
 

岸波通信その68
「ノアの住む国」

1 ばあちゃんの宝物

2 ばあちゃんの肩に雪が降る

3 ばあちゃんのお墓

4 サクラは花になった

5 約束のしるし

6 ノアの住む国

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  The Planet of Noah  【2018.4.15改稿】(当初配信:2003.5.25)

「雪が冷たいだなんて、誰も教えてくれなかったじゃないの。」
  ・・・アオイ

 2003年5月末、青森県で開催された武者小路千家のお茶会に出席した際、会場となった十和田湖畔のホテルの売店にひっそりと置かれていた童話に思わず手が伸びてしまいました。

 作者は北原なおさん。長野県にお住まいの主婦の方で、1998年に別の作品で『第8回ゆきのまち幻想文学大賞』を受賞され、翌年発表したこの『ノアの住む国』で同文学賞の長編賞を連続受賞されました。

 絵は高田雄太さん。東京都出身の挿絵画家で、詩情あふれる不思議な世界を、木目のデザインを取り入れた温かいタッチの挿絵で表現しています。

 今回の通信では、この長編幻想文学を岸波ワールドで短編に再構成し、内容をご紹介したいと思います。

The Planet of Noah

The Planet of Noah

 物語の舞台は、近未来のどこかの星。箱舟で滅び行く地球を脱出したわずかな人々がたどりついたのは、植物が存在しない砂の惑星・・・。

 ラブユーフォーエバー編に続いて、読み聞かせ童話の“名作”を再び・・・

 

1 ばあちゃあんの宝物

 乾いた赤土が舞い上がって窓をたたいている。

こんな日は外に出ちゃいけない

 私とサクラねえちゃんは、大人たちのいつもの言いつけを守り、キサばあちゃんの寝室に行く。・・窓の外は、たいてい、いつも砂嵐だ。

 サクラは私より五つ年上だけど、身体が弱くて余りしゃべらない。

サクラアオイも、今日は“”に行かんのか?」

「ん、風がある」

「あの“”もすっかり鳥の棲家(すみか)だなあ。ほっほっ、ここにたどり着いた時もぼろだったが、ますますぼろっちくなったなあ」

obal moon

Obal Moon

 ばあちゃんは、舟に乗って冒険したことを何度も話してくれた。ばあちゃんやサクラがいた故郷は、“最後の戦争”で焼きつくされたんだそうだ。

 もうそこには、誰も住めないと言っていた。・・・私は「ここ」で生まれたので、よくわからない。

サクラはブナの林で遊んだことを憶えとるか?

 ばあちゃんの皺だらけの手がサクラの頭をなでている。私の中では、見たことも無いブナの林が広がっていく。

さあ、あれを持ってきて」ばあちゃんは、サクラに言った。

 故郷から急いで“”で逃げ出さなくてはならなくなった時、大人たちは、いろいろなものを舟に持ち込んだそうだ。

 水や食べ物、服や野菜の種、豚やにわとり、そして、お薬や発電機・・・。舟はその重さに軋んで飛び立ったのだという。

その中で、一番の幸(さいわ)いは・・・」ばあちゃんは言った。サクラは、保冷庫から持ってきた袋をばあちゃんに手渡した。ドングリクルミやいろんな木の実が袋から出てきた。

「その中で一番の幸いは、子供らが内緒で持ち込んだ、この“木の実”じゃよ」

acorn

Acorn

 砂嵐のない日は、子供たちは“”に行って遊んだ。大きな子供たちは大人たちと一緒に“ドーム”で働き、定理や外国語の代わりに作物の育て方家畜の育て方を学んだ。

 けれど、サクラは11歳になってもドームには行かなかった。お医者さんは、「もう少し頬が赤くなって、身体が丈夫になったら行きなさい」と慰めるように言って目を伏せた。

・・・でもサクラねえちゃんは、それからもずーっと身体が弱かった。

もう少しじゃの

何が?

ふふ、お楽しみ、お楽しみ・・・」と言って、ばあちゃんは、一番いいブナの“どんぐり”を握り締めた。

風向きが変わったら教えてやるよ・・・」ばあちゃんは、笑いながら話した。

 

2 ばあちゃあんの肩に雪が降る

 風が東から北に向きを変えた頃、キサばあちゃんの具合が急に悪くなった。お医者さんが呼ばれ、親しい者が呼ばれ、そして再び家族だけになった。

 ばあちゃんがいなくなったら、誰がブナの話をしてくれるんだろう? 母さんに叱られたとき、どこへ逃げ込んだらいいんだろう?

ばあちゃん」と私が呼んだ時、サクラが振り向いた。そのサクラの真っ白な唇と赤くなった目にびっくりした。・・・サクラは、最近ずーっと咳をしている。身体から血の色がどんどん無くなっていくように白くなっている。

 サクラはいったいどうなるんだろう?

 私たちが“”で遊んでいたときも、身体の弱いサクラはいつもばあちゃんのそばにいた。

 私が長いと思っていた砂嵐の季節より、もっともっと長い間、サクラは、ばあちゃんのそばで、話を聞いてあげてたんじゃなかったかしら・・

ばあちゃん・・・

 サクラの細い声に、ばあちゃんがゆっくりと目を開けた。

雪が、見たいねえ・・・」苦しそうな声で、ばあちゃんが言った。

 そこにいたみんなは、叶うはずのない願いを持って窓を見上げた。窓には、あい変わらず、赤い砂が降り続けていた。

 ふいに、サクラが立ち上がって部屋から出て行った。しばらくして、何かを大事そうに抱えて戻ってくると、その何かをばあちゃんに握らせた。

 そしてサクラは、さっきまで座っていた椅子に登って、ばあちゃんの顔の真上にそっと手をかざした。その手から、ひらり、ひらりと白いものがこぼれ始めた。

 音も無く舞い降りてきたのは、小さくちぎった真っ白い紙だった。

“和紙”だぞ! もう二度と作れない和紙だぞ!」・・・父さんが低くうなるのを母さんが止めた。

Snow

ああ、雪が降ってきたなあ」・・ばあちゃんがつぶやいた。

 そうか、これがなんだ。ばあちゃんの目に、雪が舞うブナの林が映っていると母さんがささやいた。

 ひらり、ひらり・・・。ばあちゃんの白くなった髪の毛や痩せた肩をが飾っていった。

 ばあちゃんは動かなくなった・・・

 

3 ばあちゃんのお墓

ここなの!」・・墓地からずいぶん離れたところの窪地でサクラが言った。

ばあちゃんは、ここにいたいの!

サクラ、お墓はもっとあっちなのよ」母さんが言った。

お願い、ここじゃなくちゃだめなの!サクラは白い頬を上気させていた。

「なあ、キサさんと一番仲が良かったんだから何か思うこともあるんだろうよ」

 父さんと母さんは、そう言ってくれたみんなに頭を下げると、サクラの言う場所にばあちゃんを埋葬することにした。

 供える花もなく、粗末な墓標が置かれて、ばあちゃんのお葬式は終わった。

砂の降らない日に一時間だけだぞ

 父さんは、サクラがばあちゃんのお墓に行くことを許した。私もはじめは一緒に行っていたけど、そのうちに、“”の仲間の方に戻ってしまった。

アオイちゃん、今日は一緒に行こ」・・・珍しくサクラが私を誘ったので、一緒にお墓に行くことにした。その日は、ばあちゃんの命日だった。

buna

BUNA

わあっ!

 ばあちゃんのお墓からは、小さなブナの木が二本、芽を出していた。私は、この不思議な魔法に驚いて、一生懸命、応援した。

伸びろ、伸びろ、いっぱいに伸びろ、砂になんか負けるな!

 その二本のブナは、砂嵐をいくつも乗り切った。枝を折られても、二本はお互いに寄り添って、大きくなっていった。やがて大人たちもこの奇跡に気が付いた。

まさか、砂嵐に耐える木が生まれるとはねぇ

キサばあさんが、根っこを守ってくれとるでなぁ・・・

 

4 サクラは花になった

 ある晩、オトラばあさんの家の人が訪ねてきた。

「うちのばあさんが、キサさんの隣でクルミになりたいって言うんだが・・」

「キサさんみたいにうまくいくわけないって言ったんだけれど、クルミになって子供たちに実を食べさせたいって言うんでな。どうか、悪いけど、一つ分けてくれんかの?」

 しばらくして、あの窪地に埋葬されたオトラばあさんは、両手にしっかりクルミを握っていた。一年すると、また新しい木が芽を出した。

 人間の想いは砂嵐に負けなかった。

line

 それぞれの想いを込めて、人は木になっていった。

 それは自然の成り行きで、当たり前のように続く人々の営みになっていった。

 そう、あれほど細くか弱かったサクラも、毎年、その名前の花を咲かせている。

私は、花になりたい

 そう言って、小さな白い種をか細い指で迷わずに選んだ。サクラは、まだ二十歳前だった

sakura

Sakura

 はらはらと花びらを散らすサクラの木は、ひとひら、ひとひらがあの日の“”のようだ・・。その想いは、私の胸に染みていった。

 サクラは花になった・・・

 

5 約束のしるし

 小さかった茂みはになり、林は木を生み、になった。ドームは外された。森で生まれたシダや苔がどんどん広がり、砂埃が舞い上がるのを防いでくれた。

 子供たちは、もう“”には行かなかった。あの壊れて、嫌な匂いのする舟よりものほうがずっとよかった。

 あの“”の作られた場所がどんなに素晴らしかったか知らないけれど、ここでは、かつて自分たちを慈しんでくれた人たちが両手を広げて迎えてくれる。

 僕たちはここで生まれ、いつか僕たちも森に還るのだから・・・。

 そうして、ある日、初めての「」が降った・・。

Rainbow

 森で遊んでいた子供たちは、雨上がりの空に、美しい色を描きながら広がっていく帯を見た。それを“”と呼ぶことは誰も知らなかった。

 昔々、ここに“”でたどり着いた人たちが、それを『約束のしるし』と言っていたことなど、誰も知らなかったけれど、子供たちは幸せを感じることができた。

 そして、その星は、やさしい気候になった。

 

5 ノアの住む国

 森の中のテントで、子供たちが痩せた老婆を囲むようにして座っていた。

アオイばあちゃん、じゃあ、僕たちが地球から“”で来たっていうのは本当なの?」

「ほっほっ。そして、私のおばあちゃんが、この乾いた星で最初のブナの木になったのさ」

 子供たちは、その大きな木を見上げて、乾いた窪地に二本きり生えた若木を思い浮かべようとしたが、うまくいかなかった。

「木は、今ではいくらでもある。おまけにたいそう便利に使える。でもな、お前さんたち。その最初の木が生えたときのことを決して忘れてはいかんぞ。」

「それから、もしも将来、お前さんたちが木を切ることになったときは、その木になった人の想いと、その時木を切る自分の気持ちの、どちらが重いかをよく考えてから斧をいれるんじゃよ。

「そして、私が話せなくなったら、お前たちの誰かがこの話を子供たちに伝えるようにな。わかったかい。さあ、寒くなってきた。もう家へお帰り・・・」

Flower

 子供たちが帰って声が聞こえなくなると、足元で枯葉がかさりと音をたてた。

 目の前を何かがすうっと落ちていった。掌をだすと、白いものが一瞬だけ形をとどめて、そして消えては水になった・・・。

 老婆は、訝(いぶか)しげに首をかしげ、思い出そうとする。

このひやりとするものは何だっけな?

 ふと空を見上げると、落ちてくるものはまるでサクラの花びらのようだ。・・・雪だ!

うっふっふ、ばあちゃんったら!

 急に少女のような軽やかさで、老婆はブナの木に抱きついた。

雪が冷たいだなんて、誰も教えてくれなかったじゃないの・・・。何百回も想像していたのに・・・。“冷たい”だなんて一度も考えなかった・・」

 老婆は涙を拭いながら笑い、そしてまた泣いた・・・

Flower

 年老いたブナの木が、そんな彼女を見下ろしていた。雪はやさしく降り続き、森を静かに埋めて行く。

 木々は何もいわず、愛情に満ちた大きな手がこの星に雪を降らせていた…。

 

/// end of the “その68「ノアの住む国」” ///

 

《追伸》

 この詩情あふれる透明な言葉が紡ぐ物語・・・。読み進むうち、胸が締め付けられるような切ない感情があふれてきます。

 まるで、小学生のとき、レイ・ブラッドベリの「みずうみ」を読んだときのようなやるせない想い・・と思ったら、この「ノアの住む国」の選定委員の一人に、「みずうみ」を劇画化した萩尾望都さんが加わっていました。

 萩尾望都さんと岸波(童話作家になりたかった僕の何番目かの人格)とは、どうやら相性がいいようです。

 以下は、当初配信時の「追伸」で再掲した“母と子の読み聞かせ編”第一話「ラブユーフォーエバー」からの抜粋です。

“ラブユーフォーエバー編”から抜粋して再掲

 子供の情操は、何と言ってもあかちゃんの時に育まれます。だから、心の教育はお母さんが絵本を読んでやるところから始めなくてはなりません。

 絵を見せながら話をしますと、その言葉は「母親の愛の船」に乗って子供に運ばれていくんです。・・記号としての言葉じゃないんです。

 子供は、母親から愛されているというニュアンスの中で物語を受け止めます。だから、きわめて自然にハートフルなコミュニケーションが成立し、物語を理解できるのです。《中 略》

・・・小さなお子さんをお持ちの皆さん。ぜひ、お話をしてあげてください。

 そしてこちらは、「ノアの住む国」に対して、読者の三人の女性からいただいたレスです。

三人の女性からいただいた短レス

  岸波通信で、はじめて泣きました・・・(童話作家になりたかったことのある私)

  68ではホントになぜか涙が...ってことで購入してしまった私です(単純)

  「ノアの住む国」。久しぶりに、切ない気持ちになりました。

 人々が、自分達の命と引き換えに森を創って行く物語・・・いかがでしたでしょうか?

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

KISA tree

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To be continued⇒“70”coming soon!

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