岸波通信その254「喜多方生活の思い出②」

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岸波通信その254
「喜多方生活の思い出②」

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◆「人生を振り返って」シリーズ#53喜多方生活の思い出②

 さて、県庁に就職が決まって最初の任地は喜多方にある保健所となったが、結婚問題のいざこざで親父から「勘当」された僕。手元の資金は殆ど無く、引っ越し・赴任することもままならぬ。

 ラッキーだったのは、僕は既に大学時代からスーツで通学していたので、着るものには困らなかったこと。とりあえず三着は持っていた。

学生時代はスーツ通学

(イメージ)

 進退窮まる中でも、とりあえずは喜多方に行かなければなならない。喜多方保健所に連絡を入れ、日にちを決めて「ご挨拶」に伺う事となった。

 当面の問題は、まず「住む場所」の確保だ。

 仙台から東北本線で郡山へ。そこから磐越西線に乗り換えて会津若から喜多方へ。

  昔の磐越西線(昭和52年当時)

 途中、磐梯熱海駅付近で電車が「スイッチバック」という運行をしたので驚いた。

 中山峠付近は急こう配なので直坂することができず、行ったり来たりしながら高い場所へと移動するのだ。

  電車が突然、後ろ向きに走り出す・・

 郡山から2時間近くかかって、ようやく喜多方駅に到着。

 一歩、ホームに降りると、かなりボロボロの「駅表示」を見つけてまたまた驚いた。

(ヤバいところへ来ちまったな・・)

喜多方駅の「行先標」

(昭和52年当時)

 街と言えば福島市と仙台市しか知らない僕にとって、この裏さびれた風景はショックだった。

 さらに改札を出て「駅前」に出るとさらに驚愕の風景が待っていた。そこは市の駅前なのにビルなどはなく、こんなお土産屋が一軒。

  櫻井食堂(昭和50年代)

 ここから西側にはずっと田園風景が広がっていた。

 実は、鉄道の駅を設置する時に反対運動があり、あえて街はずれに設置されたことは後から知った。だからこんな寂しい風景だったのだ。

  喜多方の田園風景

(ああ、「喜多方赴任」を断ればよかった・・)

 振り返って見た「喜多方駅」はこんなふう・・。

  喜多方駅(昭和52年当時)

 現在は建て替えられて美しい駅となっているが、これが僕の「喜多方・原風景」だ。

 駅の真ん前から北に「産業道路」と呼ばれる路線が伸びており、その両側には多少の賑わいが出来ていた。

  喜多方の産業道路

 喜多方保健所は街の北側にあったが、時間がかかってもタクシーを使わず歩いて街中を見ていくことにした。

 途中で道を折れて、喜多方の中心街を北上する。すると道端にこんな店が。

若喜商店

(就職した頃/昭和50年代)

 この若喜商店は、江戸時代の宝暦5年(1755年)に創業した老舗の醤油・味噌醸造元。

 それから十数年後、再び会津(会津地方振興局)に赴任した時に、ここの若主人や若松の野口英世青春通りにある『會津壹番館』の照島さんらと協力して会津地方の「地域おこし」に取り組むこととなる。だが、この頃はまだお互いについて知ることはなかった。(遠い目・・)

 やがて県立喜多方高校のグラウンドの横を通り、目指す喜多方保健所が見えてきた。

  喜多方保健所(現在は県の合同分庁舎)

(現在は、保健所業務が市の保健センターに移管されたため、建物は県の合庁・分庁舎に。)

 玄関を通って執務室に入ると、僕が配属予定の「総務課」の課長さんが出迎えてくれた。

 挨拶を済ませ、まずは当面の重要課題「住む場所」について相談しようとすると、逆に提案された。

 独身者の場合、保健所からすぐ東側にある学生下宿「祓川荘」にとりあえず入って、それからゆっくりとアパートなどを物色すればいいのではないかとのこと。

  学生下宿(イメージ)

 この「祓川荘」は、近傍にある県立病院のレントゲン技師さんの家でもあり、学生たちも大勢入居しているとのこと。まかないも付いているし、部屋は個室だと言う。

 願ってもない好条件だ。何より「敷金・礼金」なども不要だったのだ。

 最初の赴任日などについて打ち合わせを済ませると、今度は「祓川荘」にお願いに行った。4月になれば、冬期間だけ入っていた遠方出身の高校生らが退出するので空き部屋は十分にあるとのこと。(ホッ、良かった・・)

学生下宿・祓川荘のイメージ

(かなりボロいが贅沢は言えない)

 さて、これで当面する問題は解決だ。下宿屋への引っ越しならば、不要な鍋釜・冷蔵庫などは処分して荷物を最小限とし、一~二回の乗用車往復で運び込めるかもしれない。

 それにしても車・・どうするんだ? 友人で持っているのは医学部のカメヤマとオーハラのみ。うむむむむ・・難題はまだ続く。

 次号、追い込まれた僕に、意外な助っ人が現れる。

 だが、入居した祓川荘でトンデモナイものを貰うことに!(笑)

(To be Continued⇒)

 

/// end of the “その254「喜多方生活の思い出②」” ///

 

《追伸》

 喜多方保健所は、僕が赴任する半年前に、新しい庁舎が完成して移転したばかりのピカピカ状態でした。

 実際、勤務を始めて驚いたのは、平均年齢の若さ。所長・次長まで含めて20数人所帯の平均年齢は20代!

 当然、僕と同年代の美しい女性も大勢。これはヤバいぞ、学生時代の彼女と早く結婚するつもりで来たのに。(アワワワワ・・)

 むしろ、そっちの方が「難題」ではないのか?(笑)

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

かど屋の中華そば

(いつも出前を取っていた)

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To be continued⇒“255”coming soon!

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【岸波通信その253「喜多方生活の思い出②」】
2026.3.25配信

 

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