岸波通信その186「金栗四三の真実」
           
~消えたオリンピック走者~

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Present by 葉羽
「SUMMER IN THE ISLAND」 by Music Material
 

岸波通信その186
「~消えたオリンピック走者~金栗四三の真実」

1 オリンピック初参戦

2 ストックホルムへの道

3 マラソン・レース開始

4 55年の時を経て

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  Shizo Kanaguri  2018.1.7配信

「参加者68名中33名が途中棄権。死者1名。そして…行方不明者1名。」
  ・・・1912年ストックホルム・オリンピック/マラソン・レース

 僕が勤務する財団の理事長と言えば、自他ともに認める鉄人アイアンマン。

 オーバー65歳の高齢にもかかわらず、各地のマラソン・レースやアイアンマン・レースに出場し、昨年は公式レースの累計走破記録が地球一周分の4万キロを超えたということで新聞にも採り上げられました。

※参考:葉羽詩集「アイアンマン」⇒

 そんな理事長の年始の挨拶は、もちろんマラソンの話題。

 いわく「42.195キロをわずか2時間数分で走破するという近年のマラソン界ですが、逆に"最も遅い世界記録”はどのくらいか知っていますか」と。

 うむむむむ…??

1912年ストックホルム・オリンピック開会式

(Wikipedia)

 その答えは「54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」!!?

 しかも記録保持者は日本人の金栗四三(かなぐりしぞう)氏。1912年ストックホルム・オリンピックのマラソン競技公式記録です。

(金栗四三選手)

 何故、そんなことになったのか?

 ということで、今回の通信は、日本マラソンの父と呼ばれる金栗四三氏に関する秘話をひも解きます。

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1 オリンピック初参戦

 マラソンの世界歴代十傑を見ますと、最高位がケニアの デニス・キプルト・キメットが2014年ベルリンマラソンで記録した2時間02分57秒。10位の者でも2時間04分11秒と、まさに「2時間数分」が勝負の剣が峰となっています。

 この10位までの中に日本人選手はおらず、女子だけに限れば2005年ベルリンマラソンで2時間19分12秒を記録した野口みずき選手が歴代6位にランクインしているくらい。

葉羽(野口みずき選手は2004年アテネオリンピックで金メダルを獲得。)

(野口みずき選手)

 国内大会で幾多のスター選手が出るようになった日本ですが、まだまだ世界の壁は厚いのですね。

 国際マラソン大会で最遅記録を持つ金栗四三は、一緒に出場した短距離の三島弥彦と共に日本人で初めてオリンピックに出場した人物。

 この二人から、日本のオリンピックの歴史は始まったのです。

 金栗四三は1891年(明治24年)、熊本県春富村(現・和水町)の生まれ。後には熊本県教育委員長も務め、箱根駅伝の創設に尽力した功績などで「日本マラソンの父」と呼ばれるようになりました。

葉羽(寡聞にして知りませんでした。恥ずかしい…)

 でも、そんな金栗四三氏のこと、実は多くの日本人が"無意識のうちに”知っているはずなのですよ。だってホラ、次のキャラクター、知らないとは言わせませんよ(笑)

グリコサイン

(大阪/道頓堀)

 はい、ご明察のとおり、このグリコのイメージ・キャラクター(一粒3百メートル!)は複数の陸上選手をモデルにしていますが、その一人が金栗四三氏なのです。

葉羽(ほかに1924年のパリオリンピック代表選手・谷三三五氏など。)

 ほぅらね、食べたでしょ子供の頃。 え…今でも食べてるって!?(笑)

 1910年、東京高等師範学校に入校した金栗四三は、秋の長距離走(24キロ)大会で三位入賞を果たし表彰されました。この時の校長こそ、日本柔道界のレジェンド嘉納治五郎。

 この師弟は、その後、数奇な運命を共にしていくこととなるのです。

(嘉納治五郎)

 その翌年、11月19日に開催されたストックホルム・オリンピックのマラソン予選に出場することを決意します。

 この予選当日は雨と強風の荒天の中の開催で、予定より到着が遅れた四三はパンをかじっただけの簡単な食事で即スタート。

 残り1キロ地点でデッドヒートを繰り広げた四三は最後にライバルたちを引き離して、見事一位でゴールイン。

 しかし、驚いたのはその後。彼の記録は、当時の世界記録を27分も短縮する驚異の記録(2時間32分45秒)だったのです。

(金栗四三)

 こうして金栗四三は、本戦での栄冠が期待される新人として、堂々、ストックホルム・オリンピックへの出場が決定したのでした。

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2 ストックホルムへの道

 しかし、まだ海外渡航自体が非常に稀だった当時の事、海外の…しかも遠く離れた北欧の地に渡って競技に参加するまでには多くの困難が待ち受けていました。

 日本に航空路線が開設されるのは第二次世界大戦後の1951年のこと。大正時代の渡航と言えば船便によるしかありません。

 1912年5月16日、団長の狩野治五郎と監督の大森兵衛を筆頭とした日本選手団(2名ですが)は、新橋駅から出立。神戸から海路でウラジオストックへ。そこから先はシベリア鉄道でスウェーデンを目指します。そこから到着までの旅程は17日間。(ええええ~)

シベリア鉄道

 現代では考えられないこの長い時間、狭い鉄道車両内で過ごすのは並大抵のことではありません。渡航費用も莫大。少しでも費用を節約するため、同行した大森監督の妻:安仁子(日本名:米国人)が車両内で自炊したというのですから驚きです。

 長旅の中で持ち込んだ米が底を尽くと、今度は慣れない洋食で空腹を満たすしかありません。

 ホウホウのテイで到着したストックホルム。しかし北欧には日本のソウルフード、「米」は存在しなかったのです。(オーマイガー!)

 おりしも北欧は白夜の時期、夜の無い世界。慣れない異国の地で疲労を癒すはずの睡眠さえ十分にとることができなかったのです。

 また、悪い事は重なるもので、選手団監督の大森兵衛が劣悪な宿舎環境もあって持病の結核が悪化。金栗と三島は、大森監督の看病を手伝いながら練習をしなければなりませんでした…。

日本選手団入場行進

(1912年/ストックホルム)

←嘉納治五郎の采配で国名表記はNIPPONを採用。
(※この年一回限り。以後の大海はJAPAN。)

 様々な悪条件、アクシデントが重なる中、短距離の三島は100メートル走、200メートル走で共に予選敗退。唯一勝ち進んだ400メートル走も体力の限界から棄権することに。

 日本の期待は、金栗四三が一身に背負うこととなったのです…。

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3 マラソン・レース開始

 こうして迎えた7月14日、いよいよマラソン・レースの当日が来ました。この日のストックホルムは雲一つない快晴。

 ところがその朝、悪夢のようなアクシデントに見舞われます。どうした手違いか、金栗を競技場へ運ぶための車が待てど暮らせど姿を見せないのです。

 意を決した金栗は、競技開始に間に合うよう宿舎から会場まで「走る」ことにします。

 これが映画やドラマなら「笑うトコ」でしょう。まるで餅の大食い競争の前に、練習のため餅を50個食べてきたというような話なのですから…。

 でもこれは現実の話。会場に到達した金栗は疲労も癒えぬまま、競技開始の13時にスタートとなります。(あらららら、日本予選のデジャヴが…)

マラソンレースの出走

(1912年/ストックホルム)

 金栗を見舞うアクシデントはこれにとどまりませんでした。この日のストックホルムは最高気温が40℃になるという記録的な酷暑。

 こうした悪条件の中で脱水症状を起こす選手が続出します。ポルトガル代表のフランシスコ・ラザロは競技中に昏倒し、翌日に死亡するという悲劇が。

葉羽(近代オリンピックが始まって以来、初めての競技による死亡者の事例に。)

 この酷暑のため、結局、参加者68名のうち33名が途中棄権を余儀なくされるという大波乱のレースとなったのです。

 26キロを過ぎた時点で金栗の身体にも異変が起こりました。

 めまい、突然の脱力感…熱中症による症状で意識が朦朧となった金栗は、途中の農家に迷い込んだところで意識を失いました。

(力走する金栗四三)

 こうした状況で「棄権」を宣言することもできなかった金栗は、大会事務局によって「行方不明」と処理され、レース終了。

 やがて農家(ペトレ家)の献身的な介抱によって意識を取り戻した金栗は、とっくにレースが終了している事を知ると、ふらふらとした身体のままで宿舎へと帰還します。

葉羽(帰還は翌日との説もありますが確認できませんでした。)

 待っていた日本選手団長の嘉納治五郎は金栗の無事帰還に安堵すると、叱ることもせずに「次もまた頑張ろう」と激励するのでした。(いいオトコだなぁ…)

(大学生時代(20歳頃)の嘉納治五郎)

 また、監督の大森兵衛は病状悪化のため絶対安静となって帰国ができなくなり、その後に療養のため妻の実家があるボストンへ向かいますが、そこで帰らぬ人となりました。

 失意の金栗四三…しかし、彼のリベンジ・マッチが実現することはありませんでした。

 4年後に予定されていたベルリン・オリンピックが、第一次世界大戦の勃発により開催されなかったためです。

 四三はストックホルムのマラソン・レースがあった翌日、日記にこう記しています。

「大敗後の朝を迎う。終生の遺憾のことで心うずく。余の一生の最も重大なる記念すべき日なりしに。

 しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。

 人笑わば笑え。これ日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものなり。

 この重任を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん。」

 四三はこの悔しさをバネに、後進の育成にまい進し、マラソンばかりでなく国内女子スポーツの振興に尽力し、「スポーツ大国ニッポン」の礎を築いていくのです。

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4 55年の時を経て

 そして55年を経た1967年、金栗四三は思い出のストックホルムの地に降り立ちました。

 オリンピックのスタジアムは「あの時」のまま。まるで時が止まったように、そこで四三を待っていました。

 ストックホルム・オリンピック55周年を記念する式典に、スウェーデンのオリンピック委員会から特別招待を受けたのです。

オリンピック・メインスタジアム

(スウェーデン/ストックホルム)

 委員会は、開催当時の記録から「競技中に失踪し行方不明」とされていた金栗四三の存命を突き止め、この記念式典でケリをつける事を企画したのです。

 何という心温まる配慮…。四三は競技場をゆっくりと走り、万感の想いで場内に用意されたゴールテープを切りました。

 この時、場内にアナウンスが響きます。

「日本の金栗、ただいまゴールイン。
ただ今のタイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3。
これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します。」

 何と劇的で感動的なエンディング。感慨もひとしおだったでしょう。

(金栗四三を讃える記念銘板)

 54年8ケ月6日5時間32分20秒3…この金栗四三の偉大なるマラソン最遅記録は、おそらく破られることは永遠にないでしょう。

「長い道のりでした。この間に孫が5人できました。」

 レース中に孫が5人(笑)…四三はゴールイン後のインタビューでこうコメントしました。

 そして式典会場を後にした四三は一軒の家を目指します…そう、四三の命を救ってくれたあの農家を半世紀ぶりに訪れ、感謝の意を表したのでした。

ゴールイン!

(1967年/ストックホルム記念式典)

 先に述べたように、現役引退後の金栗四三は後進育成の陣頭指揮に立ち、やがて日本をスポーツ大国に導く礎を築きました。

 それらの功績が実を結び、1955年にはスポーツ選手として初めての紫綬褒章を受章。そして、1964年の東京オリンピック招致へと繋がっていくのです。

(母校玉名高校の生徒と走る金栗四三)

 このエピソードは、2019年のNHK大河ドラマ第58作「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」でドラマ化されることになりました。

 金栗四三役は中村勘九郎、水泳コーチから政治記者に転身し東京オリンピック招致に執念を燃やす田畑政治(たばた まさじ)役に阿部サダヲを配し、二人の主人公を通してオリンピック初参加から東京オリンピック招致までの怒涛の歴史をたどります。(脚本は宮藤官九郎。)

 2020年開催東京オリンピックへの機運を盛り上げる、実にふさわしい企画だと言えましょう。

 

/// end of the “その184 「~消えたオリンピック走者~金栗四三の真実」” ///

 

《追伸》

 NHK大河「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」ですが、朝のテレビ小説「マッサン」で主演したシャーロット・ケイト・フォックスが監督大森兵衛の妻、安仁子役で出演します。

 彼女は清潔感・透明感があって僕の大好きな女優さん。ラジオで旅のコマーシャルに出演していますが、いつも通勤時の朝、その声を聴いてうっとりしています。←(危ないな(笑))

(シャーロット・ケイト・フォックス)

 なお、当の大森監督の役は竹野内豊。「シン・ゴジラ」で十分な存在感をアピールしてくれましたね。その他、四三の妻となる春野スヤ役に綾瀬はるか、団長嘉納治五郎役に役所広司、盟友三島役に生田斗真など、さすが大河とうならせるだけの豪華キャスト陣。

 また、宮藤官九郎の脚本では深刻に寄らず、毎回喜劇調の会話で進めるということで、そうなればもちろん音楽はあの人、「あまちゃん」の音楽を担当した大友良英。

 彼は、「いだてん」の音楽担当に指名された時に、「日本が初めてオリンピックに参加した頃のことを調べれば調べるほど面白くて面白くて」という感想に続けてこう言っています。

「『もう、この音楽は、お調子もんのわたしがやるしかない。ぜひわたしに任せてください!』と思わず、名指しされたと同時に思いっきり手をあげてしまいました!

 さてさて、どんな音楽になることやら、大河史上類のないくらいの奇作迷作になるかはたまた大傑作になるかは、始まってからのお楽しみにということで!」

 いやぁ、これは面白いドラマになりそうだ。必ず観なくちゃ!!

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

「いだてん」出演者発表

(2019年NHK大河ドラマ)

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To be continued⇒“187”coming soon!

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【岸波通信その186「~消えたオリンピック走者~金栗四三の真実」】
2018.1.7配信

 

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