岸波通信その166「道祖神の真実」

<Prev | Next>
Present by 葉羽
「November Girl」 by Blue Piano Man
 

岸波通信その166
「道祖神の真実」

1 様々な姿の道祖神

2 火伏せの神

3 陰陽石の真実

NAVIGATIONへ

 

  Doso-jin 【2017.9.27改稿】(2011.2.12配信)

草の戸も住替る代ぞひなの家」
  ・・・松尾芭蕉 (「奥の細道」)

 これは“月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也”で始まる有名な松尾芭蕉「奥の細道」の最初の発句。

 この芭蕉の漂泊の旅は、道祖神に誘われたものだと自ら述べています。

“去年(こぞ)の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず…” 『奥の細道・序文』

 この「道祖神」とは、元来いかなるものであったのか?

道祖神

(下妻市高道祖神社)

 「旅人の護り神」として知られる道祖神ですが、その役割よりも、巨大な男女の性器を象る異形の姿が記憶に残るのではないでしょうか。

 そしてまた、会津の旧家の天井などには、男女一体の道祖神「ヒブセ」が奉納してある光景がよく見られます。

 「旅人の護り神」ならば、どうして「家の中」にあるのか。

 何よりも、その「ヒブセ」がどうして巨大性器の姿をとらなければならなかったのか。

 子供の頃、疑問に思いながら、どうしても大人に聞くことが憚られた「謎」にようやく辿りつくことが出来ました。

 

1 様々な姿の道祖神

「道祖神は、路傍の神である。
 集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、(…省略…)村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。
 古い時代のものは男女一対を象徴するものになっている。」 ・・・Wikipedia

 会津の道祖神の場合は、巨大な男根を象った姿が特に有名ですが、全国的にはむしろ石碑に男女の神様を彫った「双体道祖神」が典型として知られています。

双体道祖神

(曹洞宗普門山)

 しかし、そればかりでなく、自然石を祀った道祖神、地蔵尊を象った道祖神、果ては文字を刻んだだけの道祖神など様々なパターンがあり、材質も石・金属・木・藁・紙など多様です。

 道祖神の有力な由来の一つは中国を起源とするもので、安永年間の『奥細道菅菰抄』には、以下のような記述があります。

「黄帝の妹、累祖と云人、遠遊を好み、終に旅に死す。
 因て以て岐の神とすと云。日本にては猿田彦命を衢の神とす。
 …略…後世青面金剛を傳会して庚申と称す。
 道路に庚申の像を建て、チマタの神とするも是の故なり」

               ・・・「奥細道菅菰抄」(蓑笠庵梨一)

 つまり道祖神は、旅を愛した黄帝の妹「累祖」が旅の途中で非業の死を遂げ、その夢を後の人に託すべく旅人の護り神となったという訳です。

 そして、その言い伝えが日本に伝来した後、同じく「道の神」・「巷の神」であった猿田彦伝説と習合し、さらには病魔や災難を遠ざけると信じられた青面金剛を介して十干十二支の庚申(きのえさる)とも習合したといいます。

丸石道祖神

(甲州路・路傍の道祖神)

 猿田彦は天孫降臨の際に八衢(やちまた)に立って神々を先導した行路神であり、庚申信仰はもともと道教由来、さらに仏教の地蔵尊信仰との習合も見られ、要するに「道祖神」とは、様々な信仰・宗教が習合しながら多様な姿で現代に伝わった神様と言えるでしょう。

←双体道祖神は、猿田彦とその妻といわれる天宇受売命と男女一対の形で習合したものであるという説もある。

 ならばその「道の神」・「巷の神」である道祖神が、なぜ巨大性器の形をとって会津などの旧家屋の中に祀られているのか。

 その由来について、会津の民俗学者佐々木長生氏(元・福島県立博物館専門学芸員)が語ってくれました。

 

2 火伏せの神

「峠にはヒダル神と呼ばれる魔物がおり、人間にとりつき疲労させるという。
 人々はこの魔物にとりつかれないようにと、柴を折って峠の神に手向け(たむけ)祈った。
 そこから「峠」となったともいう。峠すなわち境には神がいる。
 
『道祖神』とか『道陸神』『塞の神』である。」 ・・・民俗学者 佐々木長生

峠の道祖神

(長野県白駒池)

 ここでは、道祖神が“旅人を護る神”ではなく、“魔物”という悪役で登場しています。

 “境”に存在して災いをもたらす神であるがゆえに、それを祀って村中の安全と道行く人の安全を祈願したのです。

 同時に「塞の神」は「外敵」に対しても強力な力を発揮し、様々な悪霊・災難が境界線を越えて入ってこないよう護ってくれる鬼神でもありました。

 この「悪霊・災難の侵入を防ぐ」というのが重要なキーワードだったのです。

 (~以下、佐々木長生氏の講演資料から~)

【家を新築するとき男と女のシンボルを飾る不思議】

 南会津郡と大沼郡の山間部、福島市から郡山市にかけての阿武隈山地の地方には、新築の棟上げに男根と女陰をかたどった呪物を棟木に奉納する習俗が昭和30年代まで行われてきた。

 これを「火伏せ」とか「火伏せの神」といって、火災除けの信仰に奉納する地域が多い。

 (…省略…)

 建前の当日になると、火伏せを作る人は「一人役」といって、一日がかりで製作に励む。これらの呪物は、柱や梁をとった材料を利用する。村の年配の器用な経験者が製作する。

 これを、その家の主人夫婦が持って、棟上式の祭場まで上る。阿武隈山地の地方では、ねじり鉢巻きで口紅をつけた主婦が、男根を背負い、梯子を上る。

 これを下にいる村人が、はやしたてる。また、大沼郡昭和村大芦などでは、主婦がへらでお神酒を男根にふりかけてから奉納するという。

 また、火伏せを奉納する地域には、この夜、夫婦が建前をした場所に一間四方を板で囲み、ここで寝る習俗があった。南会津地方では、これを板囲いとよんでいる。

 夫婦の契りを結ばねばならなかったという。伊達郡梁川町などの伝承によると、新築した家で犬・猫・その他魔物が契りを結んでしまうと、それらに家を取られてしまう。

 そのため主人夫婦が最初に契りを結んで、所有を明らかにするのだという。すなわち、その家の繁盛を祈った儀礼でもある。

 また、火災は何もかも消滅させてしまい、他家、村全体にも被害を及ぼしてしまう。

 そんな家の繁盛、子孫繁栄を祈願し奉納したものが、火難除けにつながり、火伏せとよばれるようになったのではなかろうか。

 驚きました。

 巨大な男根と女陰は単なるシンボルではなく、実際にそこでセックスを行うための祭器であったのです。

 夫婦がその新しい家で最初に“契り”を結ばないと、別の獣や魔物に所有権を奪われてしまうという信仰があったワケです。

 所有権を明らかにし、その家を子孫繁栄の礎とする儀式。

 まさに、それが行われたことを公証するシンボルとして、同時に火難除けの護り神として、巨大性器の道祖神(ヒブセ)が奉納されていたのでした。

 様々な外敵と対峙してこれを撃退する「塞の神」。

 そのチカラをあらわすのが、生命力に溢れたシンボルであったということに大いに得心させられました。

屋根裏の火伏せの神

(南会津町)

 旅人を護る、あるいは村境の神として外敵を撃退する道祖神と家を護るヒブセの神は同じルーツであるのか、あるいはまた一方が他の機能に用いられるようになったのか定かではありません。

 もしかすると、独自のルーツを持って存在した二つの信仰が習合したのかもしれません。

 道祖神は、あまりにも多くの信仰・宗教の習合によって多様な姿・名称で存在しているために、その系譜を辿ることは容易でないように思います。

 いずれにしてもその源流は、中国の黄帝の妹・累祖の伝説が出発点なのか?

 実は、それ自体も“習合”である可能性があるのです。

 

3 陰陽石の真実

 男女の性器の形をした「陰陽石」もまた道祖神と呼ばれ、『扶桑略記』や『本朝世紀』には、平安京のあちこちに建てられた「岐神」と呼ばれる男女二体の木像には性器も彫られていたという記述があります。

 さらには、記紀神話において、イザナギノミコトが黄泉比良坂を塞ぐために『千引石』で遮り、杖を投げたというエピソードがあります。

 そして、この千引石は「道反大神(ちがえしのおほかみ)」、杖は「祖神(ささえのかみ)」と呼ばれ、「道祖神」の名を含んでいます。

 日本においては、何らかの「呪物」をもって厄災を塞ぎるという信仰、そして、それに「道祖神」という名や男女の性器がシンボルとして古代から存在していたという事実は、これらのことからも窺い知ることができるでしょう。

 「陰陽石」の名前自体が日本に浸透したのは、儒教や道教を通して中国の陰陽五行説が伝来し、吉凶を占う実用的な技術として普及してからです。

 江戸幕府が儒学を国学にしたことで、儒教(それに伴う陰陽五行説)は武家階級の一般的教養として広まり、大名庭園や茶庭などに陰陽石が配置されました。

陰陽石

(陰石)

 ところが、日本には夫婦岩や男根を祀る民間信仰はさらに昔からあったのです。

 道祖神研究家の北白河貴人氏によれば、その起源は縄文時代にまで遡るといいます。

「縄文時代の信仰は、巨大な物(山・滝・岩・樹木など)や、自然現象(雷など)でした。
 そして自分たちの集落の出入り口に巨大な岩を置き(元からあった岩も利用してます)、塞神(さいのかみ、さえのかみ。障の神とも書きます)として、集落へ悪霊が入るのを防ぎました。
 また、信仰の対象としていた自然の岩(特に巨石)の中から、陽石・陰石・陰陽石を特に祭り、子孫繁栄・五穀豊穣を願うようになりました。」

             ・・・道祖神研究家 北白河貴人

 氏はその例として、山梨市大石神社にある自然石の陰陽石などを挙げています。

陰陽石

(大石神社)

 この説が正しいとすれば、はるか縄文時代に起源を持つ「塞の神」信仰こそが本流で、弥生時代以降に中国から伝来した黄帝の妹・累祖の伝説と習合し、記紀の記述に繋がった可能性があります。

 まだまだ謎の多い「道祖神信仰」。

 ま、家の中に、あのおどろおどろしい形の道祖神(ヒブセの神)が祀られている理由が明らかになったことで、今回はこれでよしといたしましょう。

 

/// end of the その166 「道祖神の真実」” ///

 

《追伸》

 佐々木長生さんによる「道祖神」の講義があったのは、先週2月3日の話。

 実は、その話が本題ではなく、赤坂憲男館長の“木曜の広場”『遠野物語を読む-11』の講演があった中での補助講演でした。

 今回は時間が押していたこともあり、佐々木さん名調子の「だじゃれ」も入らないガチンコ講演。(いや、あったかも)

 ところがその中で、僕が長年疑問に思っていた「家の中の道祖神」の理由が衝撃の事実とともに語られたので、目がぱっちり。(いや、決してそれまで寝ていたわけではありません。)

 ところがですね…

 その佐々木さん、民俗学的事実を説明するのに、いざ夫婦の秘め事や道祖神のカタチの話になると言いよどんだり顔を赤らめたり…

 いくつになっても純情なんですね。

 現代日本の民俗学を代表する重鎮の一人でありながら、まるでハニカミ王子…だから、この人大好きです!

 

 では、また次の通信で…See you again !

佐々木長生氏

(似顔絵)

管理人「葉羽」宛のメールは habane8@ybb.ne.jp まで! 
Give the author your feedback, your comments + thoughts are always greatly appreciated.

To be continued⇒“167”coming soon!

HOMENAVIGATION岸波通信(TOP)INDEX

【岸波通信その166「道祖神の真実」】2011.2.12配信

 

PAGE TOP


岸波通信バナー  Copyright(C) Habane. All Rights Reserved.