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その98

小指の思い出

 前号写真の常磐ハワイアンセンターだが、オープンして間もなくの頃、親戚のオジサンやオバサンと行った事がある。

 フランダンスのアップテンポのリズムは強烈だった。

 スローテンポのリズムでは、踊り子さんの大きな目に、目が合うと吸い込まれそうになる。

 知り合いでもないのに、踊り子さんが笑顔で語りかけるような眼差しで、私の方を見るので子供心にテレる。

 途中でステージに観客を招いて、一緒にフラダンスを踊る場面があったが、昭和純情少年はステージには上がれなかった。

 二つ年上の従兄が、自慢げに踊り子さんと握手をしたといってステージを降りてきたが、内心羨ましかった。

 今度、行く機会があれば後悔しないようにステージにあがってみたいが、この年でフラをやったら足腰フラフラか。

 やはり昭和おじさんには盆踊りのリズムが合うが、常磐だけに炭鉱節か。

「♪踊り踊るなら、ちょいと東京音頭」だが東京はオンドが高すぎる。

 暑い中、上野に出没して打ち水アートをしているが老体には厳しい。

 アイスボックスに保冷剤を入れて、体を冷やしながら活動したが長くは持たない。

 ドライアイスも考えたが、体を冷やすのにドライアイスは私には、ちょいとまだ早い。

葉羽(ぶわっはっはっは!)

 話しは変わるが今年は甲子園100回大会ということで、高校野球の報道が一段とすごい。

 今でこそサッカーも盛り上がるが、昔はスポーツ中継といえば野球、相撲だ。

 野球は球技だが、球技が得意な人というのは「ボールとの間合い」が計れる人で天性らしい。

 どんなスポーツでも努力で、ある程度は伸びるが、あとは才能だ。

 自分のことを考えると野球をはじめスポーツに才能はなかったと思う。

 なのに、あると思い込んだのが間違いだったが、何でもやってみなければわからい。

 中学の頃、福島、宮城、山形三県の附属中の交流会があり、自校の代表を決めるクラス対抗バレ―ボール大会があった。

 9人制バレーで確か、後衛のスミのポジションに選ばれ、後衛だったが内心、光栄だった。

 後衛はレシーブするだけなのだが、自分の所にはボールがこない事を手を合わせて祈り、はじめからアンダーレシーブの姿勢か。

 試合は葉羽氏の四組に敗れた。

 私達の二組はA君の発案で、得点を取るたびに、コートの中央に集まって「二組、チャチャチャ、オー」という掛け声をかけあっていたが、あの往復運動の疲れも敗因のひとつか。

 高校で昼休みにやったバレーボールで、スパイクをしたら指がネットに絡まり小指を骨折した。

 病院で「君はバレー部か」と医者に聞かれ、「違います」と返答したら、ニヤリとした顔で「だろーな」と言われた。

 指用ギブスをして指を包帯でグルグルまきにされて家に帰ったら、兄から「運動神経が、にぶいんだよ」と言われ、母から「休み時間にふざけているからだよ」とも言われた。

 翌日に病院で若い看護婦さんに包帯を取り換えてもらったが「痛かったでしょう」と同情され、その言葉が嬉しくてそのまま入院したかった。

「♪あなたが噛んだ、小指が痛い」だが、バレーボールのネットに指が絡まり痛い思いをした。

 今はネット社会だが、ネットで絡まれ、痛い思いをしないようにネット発信には注意しなければならない。

 ネットも熱湯も大やけどにつながるが喉元過ぎれば熱さ忘れるのが世の常か。

 (2018.8.15)アンブレラあつし

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