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 その19 私の愛したスパイ 

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“Walking Man” by Music of my Mind

鞍馬 映画版のミッション・インポシブルシリーズは、以前テレビで放送されていた「スパイ大作戦」というアメリカのドラマがもとになっているそうですね。

 私はこのドラマを残念ながら一度も見たことが無いので、それと比較してどうこう言うことはできません。

 でも葉羽さんのいうとおり、毎回監督を変えて、観客をあきさせない映像、そしてアクションをいせてくれる秀作であることは間違いないです。

ミッション・インポッシブル

ゴースト・プロトコル

 考えて見ると、スパイ映画というか、ドラマも含めてスパイを題材にした映像作品を見たのはミッション・インポシブルシリーズが初めてです。

 スパイ映画の金字塔である、OO7シリーズも見たことがありません。

 それでも自分の思うスパイ像なるものが明確にあるので、それはどうやって作られたものなのか不思議に思っています。

◆ 私の抱くスパイ像

 私の抱くスパイ像は大まかにこんなものです。

1 国のために働くエリート

 数ヶ国語を話し、あらゆる乗り物や機械を使いこなす秀才というイメージが強いです。また、無粋な言い方ですが、彼らは分類上国家公務員です。

 なので、私利私欲のためにその能力を使ってはいけません。

ミッション・インポッシブル

ミッション・インポッシブル

2 手段を選ぶ

 たとえば人の物を盗むとか、無駄に物を壊すとかそういうことはしてはいけません。彼らが取る手段は、犯罪者とは一線を画さなければなりません。

3 バレない

 潜入先の組織に素性がバレて、壮絶なアクションシーンを展開することは、エンターテインメントという特性上仕方の無いことです。

 ですが、無関係の周辺住民には、そんなことがあったことすら分からないか、多少の迷惑がでる程度で済むというのが理想です。

 日本で言うところの公儀隠密のようなイメージでしょうか?

◆ イメージとの食い違い

 このイメージと、MI:3を照らし合わせてみると、相当な食い違いがあります。

1 国のために働くエリートか?

 様々な能力を持ったエリートであることは間違いありません。

 ですが、本作ではとくに、誘拐された妻を助けるために主人公は持てる力と国家予算を使っています。

 これではもはやスパイ映画とは呼べません。

M:i:Ⅲ

M:i:Ⅲ

2 手段を選んだか?

 これははっきりといえます。彼らは手段を選んでいません。

 テロリストを捕縛するために、バチカンの寺院を何の躊躇も無く破壊します。

 これはダビンチ・コードを軽く上回る神への冒涜です。

 これに限らず、でてくる作戦はいずれも綿密さに欠ける力業ばかりで、あまり知性を感じません。

3 バレなかったか?

 バレバレです。

 特に中国の研究施設から「ラビット・フット」を盗み出すシーン。

 ビルの中ほどあたりから窓ガラスを蹴破ってパラシュートで降下するところをたくさんの一般市民に見られてしまっています。

 あれだけの所業をして、責任を問われないなんて、非現実的すぎやしないかと思ってしまいます。

「ステルス」の時にも思いましたが、軍や諜報機関はそれほどまでに特権階級の集まりなのでしょうか?

◆ ミッションはインポシブルか?

 こういう映画を見て思い出すのは、私が小中学生の頃に流行した、爆破アクション物です。

 アーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローンに代表される、家族や仲間のためにドンパチやるあれです。

 ダイ・ハードシリーズもこれに近いものがあります。

ダイ・ハード

ダイ・ハード
ラスト・デイ

 もしミッション・インポシブルシリーズがこのまま、スパイ活動という基本路線を外れて、爆破シーン満載のアクション映画という路線を採り続けるならば、是非タイトル変更を考えるべきです。

 何でも壊して、誰からでも奪って、そして誰にでも見られていいならば、そのミッションはインポシブルではありません。

鞍馬【2019.11.28 リニューアル・アップ】

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