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フランスのデザイナー、ジャン=ルイ・シェレルが6月20日にパリの病院で10ヵ月の闘病の末に亡くなった。享年78。

 もうその往時の名声を知る者も少なくなった。コレクションを取材している30歳代前半の弊紙記者も彼を知らないという。

 たぶん今回の訃報が最後で少なくとも日本では、記憶の彼方に葬り去られることだろう。

ジャン=ルイ・シェレル

ジャン=ルイ・シェレル

 ファッションを文化として大切にしているという本国のフランスではどうか。その回顧展が10年後に行われる可能性がないとは言わないが、遺族の故人への思いがどの程度かによるのだろうが、望みは薄い。

「ジャン=ルイ・シェレル」は、日本とも関係の深いブランドだった。なにせ西武グループが、このクチュール・メゾンを1992年に買収したのだから。

 西武百貨店の特選売り場には、同ブランドのブティックが威容を誇っていた。マルチカラーのツイードのジャケットが人気で、ディスクリートなマダムに人気があった。

(※右の背景画像:10th新作コレクションにおけるドレス)⇒

 その後西武グループの低迷でこのメゾンは、2001年にフランスのフランス・ラグジュアリー・グループに売却された。

 そのグループの御曹司がフジテレビのアナウンサーだった中村江里子と結婚して玉の輿婚と話題になったものだった。日本とつくづく縁があったのかもしれない。

往時のジャン=ルイ・シェレル

往時のジャン=ルイ・シェレル

(公式ホームページより)

 シェレル自身は、西武に売却されたときに、デザイナーを引退した。57歳だった。この頃からである。創業デザイナーが自社を売却するのが、「流行」したのは。

 高田賢三、ユベール・ド・ジバンシィは、いずれも高額でLVMHにブランドを売却した。「ケンゾー」や「ジバンシィ」は、LVMH流のやり方で「再生」したが、「シェレル」の場合は、香水といかにもフランスっぽいネーミングを生かしたライセンス商品にその名を辛うじて留めるのみである。

 シェレルは、どんな思いでこの世を後にしたのだろうか。それを思うとちょっと哀しい。

                

(2013.7.4「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

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