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あるラグジュアリー・ブランドの日本法人のトップは、「今後は外国人観光客の日本での消費が期待できますね?」と問われて、「いや、別に。ケーキのトッピング程度ではないでしょうか。彼等は店の中でも声が大きいしね」と言うにとどまったが、マナーの悪さも相当なものらしい。

 たしかに観光客に限らず、外国人たちの声はデカイ。駅や街中で何やら、騒いでいるなと思うと、たいていアジア系外国人が話している。

窓から電車に乗り込む中国人観光客

(C)XINHUA

 日本人で声がデカイのは酔漢とキャーキャー騒いでいる女子中高生ぐらいのものである。

 日本人で困ったのは、やはりスマホ中毒者だろう。なにかのアンケートでスマホがなくなったら生きていけないなんていうのが全体の40%に及んでいた。

 2013年10月には東京都板橋区で、歩きながら携帯電話を見ていた男性(47)がそのまま踏切内に侵入し、電車にはねられ死亡したという。

 同年5月にはJR四ツ谷駅のホームで、携帯電話を操作しながら歩いていた小学5年の男児が線路に転落し重傷を負ったという。

 「スマホがなければ生きていけない」と死んでしまう日本人。これはブラックジョークなのか。かくいう私も、最近新宿三丁目で携帯電話で通話中に傍らに置いたリュックを見事に置き引きされた。

 人を笑わば穴2つである。日本も着々と物騒になってきたものである。

電車の中の風景

電車の中の風景

 「スマホがないと生きていけない日本人」と並んで依然として増殖中なのが、「健康のためなら死んでもイイ」という日本人。

 健康のためのジョギング中に倒れて死んでしまったり、ウェイトトレーニング中にどうした拍子かダンベルの下敷きになって死んだなどというニュースが一時期多かったが、最近はあまり聞かなくなった。

 こういうニュースもすでにニュースバリューがなくなるほど頻発しているのだろう。

 そう言えば、90年代に厚底靴が流行した時に、滑って転んで打ちどころか悪く死んでしまったガングロの女子高生と言うのもいた。

 笑ってはいけない。「流行のためなら死んでもいい」というファッションの鑑のような女の子だったのだから。

 ニーチェなら、こういう現状を「ニヒリズム」と呼んでいたはずである。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

 刹那的に、手段が目的になったり、より良く生きるための技法が目的化したりする生の無目的性をニーチェは唾棄すべきニヒリズムとして、その超克を目指したのだった。

 そういう彼が梅毒に罹患して狂死したのはまるでニヒリズムに敗れたようで悲しい。

 本当に人間というのはいつの時代でも、あやしうこそもの狂ほしけれ(「徒然草」)、である。

                

(2014.6.11「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

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