昔、阿佐ヶ谷駅の伝言板に「8時まで待ったけど帰るよ」と書かれていた。
京都駅には「何もかも忘れるために来ました」とあった。
一体、誰が誰に伝言したのか。
実は今でもそれを記憶している私への伝言だったのかもしれない。
昭和の伝言板は青春時代への遺書だったのか。
青春は残酷だが深刻な青春を・・・
(・・・三秒考えて・・・)
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・・・・・・
青色深刻とはいわない。
←ぶわっはっはっは! (*≧▽≦)
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