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「春の吹く場所で」(TAM Music Factory)
 

 

 本なんか読まない!

 映像や音の方がダイレクトだからだ・・・・・・

 一冊だけ、僕の人生に大きく影響を与えた本がある。

 「第三の波(THE THIRD WAVE)」 アルビン・トフラー著 1980年
 産業社会は行き詰った・・・・という書き出しで始まる!

 産業社会は行きづまった。
 今日、世界のいたるところに、いっせいに巨大な波が押し寄せている。
 そして、人間が仕事をし、レジャーを楽しみ、結婚し、こどもを育て、
 やがて引退していく環境を、この波が一変させ、
 しばしば奇妙な状況を出現させている。
 こうした混乱した状況の中で、ビジネスマンは極度に変化の大きな経済の流れに
 逆らって泳いでいるのであり、
 政治家たちは自分たちに対する支持率が極端に上昇したり下降したりする現実に、
 目を見はっている。
 大学、病院そのほかの機関は、インフレに対して絶望的な戦いを続けている。
 価値体系そのものが分裂してしまい、家庭や教会、国家といった救命ボートも、
 激しい勢いで海中にたたきつけられている。
 こうした激しい変化を目の前にして、我々はそれらの変化を、
 不安定で、分裂と混乱をくりかえす世情を物語る現象として、
 ばらばらに受けとめがちである。
 しかし、もう少し冷静になって、もっと長期的見地から見ると、
 ひとつひとつの現象にひきずりまわされていた時には気がつかなかったことが、
 いろいろ見えてくるはずである。
 まず第一に、今日起こりつつある変化の大部分は、
 相互に無関係ではないということである。
 また、けっしてでたらめに、脈らくもなく、こうなってきたわけではない。
 たとえば、核家族の崩壊、地球全体のエネルギー危機、新興宗教の隆盛、
 ケーブル・テレビジョンの普及、フレックスタイム制の一般化、
 有給休暇や健康保険など、一連の付加給与の増大、
 カナダのケベック州からフランスのコルシカ島まで、世界各地における独立運動の出現
 といった現象は、それぞれ無関係の出来事のように見えるかもしれない。
 しかし、注意深く観察すれば、事実はまったくその逆なのだ。
 こうした現象をはじめ、そのほかもろもろの一見無関係な出来事ないし動向は、
 相互に深い関係を持っている。
 それらの現象は、実は、より大きな現象の一部にすぎない。
 それは産業主義の終焉と、新しい文明の出現を意味している。
  
 序論より
 1980年10月1日出版 第三の波 日本放送出版協会


 人類はこれまで、大変革の波を2度経験している。


 FIRST-WAVE(第一の波) : 農業革命

 第一の波は、およそ1万年前に始まった農業革命である。
 それは人類に最初の文明をもたらした技術革新の波であった。
 農業の波は次第に世界中に広がり、
 漁撈民族や狩猟民族を農耕民族に変えていった。
 そして、この農業社会の文明圏には、表面上の差こそあれ、
 本質的な類似性があった。
 つまり、いずれも土地を基礎をおく生活だったということである。
 人々は夜明けとともに畑に出て、日暮れとともに家路につくという生活であった。

  SECOND-WAVE(第二の波) : 工業革命

 第二の波でのエネルギー源は、第一の波とは違って、地下からやってきた。
 石炭、それにのちにはガス、石油などである。
 これらはいったん消費してしまえば、再生不可能な化石燃料である。
 有史以来はじめて、文明は自然の生み出す利子だけで生きてゆくのではなく、
 自然が蓄えてきた資本を食い潰し始めたのである。
 工場は、エネルギー源である石炭の産地に近ければ近いほど、経費が安くあがった。
 そこで、工場が次第に1か所に集まり、都市が次々に勃興した。
 やがて、この産業主義は社会のさまざまな個別現象をすべてよせ集め、
 あたかも、部品から機械を組み立てるように、
 首尾一貫した広汎で強力な社会体系を作りあげていった。

 ☆僕は思う、この工業化の波が根強く現代に蔓延っていて、
  正常な進化の行く手を阻んでいるのだと・・・・・・

 第二の波の社会=工業化社会の特徴は分業化と規格化である。

 1908年、フォードがフォードT型の工場生産を始めたとき、
 1台の車を完成するために、7882もの工程に分かれていた。
 フォードによると、全工程のうち949は身体強健な熟練工を必要とするが、
 3338の工程は普通の体力のある男性であればよい。
 残りの大半は、
 女性やある程度の年齢に達した子供でも作業が可能だということだった。
 このような分業化された労働者は、人間を機械の部品化、反復作業へと駆りたて、
 あげくのはては、
 トータルな1人の人間を必要としないところへと人間を追いやってしまった。

 規格化された同じ物を大量に生産することで、物質文明に花が咲いたのである。
 

 第二の波の社会では、人間も規格化された。

 規格化されたのは、工業製品だけではなかった。
 第二の波は仕事も考え方も、
 それに話し方までも規格化してしまった。
 まず、「ゆりかご」から規格化は始まる。
 学校の教室もまた同じだ。
 大衆教育は国によってそれぞれ異なっている様に見える。
 しかし、表向きのカリキュラムの背後に潜む裏のカリキュラムは、
 すべての第二の波の国で同じである。
 この裏のカリキュラムとは、工場をモデルにして、
 3つの特性を教えることだった。
 その1つは、時間を守ること、
 2つめは服従。
 つまり、チャイムに遅れることは許されず、
 また校歌や校則を暗記させられる。
 そして3つめは、これがもっとも重要なことであろうが、
 機械的暗記である。
 学校は子供たちが、生涯機械的な反復作業に従えるように、
 あらかじめ慣れさせる必要があった。

☆ 学ぶって、真似るが語源だよね? 人のやった事なぞってどうするんだい???
☆ 機械的暗記を続けることが、そんなに為になるのかい???
☆ 人と違うことがいけなくて、間違ってるって、いつまで復唱する気なんだい???

☆ 中央集権で袴に脇差の文化なんて、いつまで続ける気なのだい?

 産業革命以前には、人々は時間をもっとルーズに扱ってきた。
 1時間や1分という単位よりは、
 乳絞りの間とか、飯が炊ける迄とか、
 曖昧な単位で表現されていた。
 しかし、第二の波の時代になると、
 時間は工場の必要に応じることになった。
 1人でも時間に遅れると、流れ作業が滞るからである。
 こうして同時化が生じた。
 今もなお、機械の様に歩く人々の流れ。
 朝の通勤電車から吐き出された人々が、
 同じ様に足並みを揃えて工場に、
 オフィースに向かって行進して行く。

☆ 同じ顔・同じ服・同じ行動パターン・同じ価値観・・・・
☆ 君は本当に個人だって言えるかい???
☆ 中央集権で袴に脇差の文化なんて、いつまで続ける気なのだい?

 THIRD-WAVE(第三の波) : 迫りくる情報革命
 
現代の科学技術は、今、人類に第三の波をもたらそうとしている。
 人工衛星、コンピューター、レーザー、新素材などの
 画期的な新技術の前には、産業時代の機械は
 もはや陰の薄い存在になってしまったといえる。
 新しい技術というと生活からかけ離れた感じを抱かせるが、
 しかしそれは人間に深くかかわっている。それが仕事を変え、
 人間関係まで変えようとしている。

 そうした新しい技術の一端を担っているのが、コミュニケーション、
 すなわち情報技術なのである。

 
 ☆ いくつかの考察

 パーソナル・コンピューターの登場
 子供達はコンピューターを何の抵抗もなく自由に操作する。
 コンピューターは文字の発明に匹敵するほど大きな社会的影響を持つモノだが、
 今、子供達は新しい考え方、新しい文化を学んでいる。
 彼らはコンピューターの仲の良い友達であり、
 まさに未来を先どりしていると言ってよい。
 
 エレクトロニックスコテジ(住宅)、プロシューマー(生産=消費者)の登場
 
第一の波ではほとんどの人が生産し、消費する者で、
 いわば生産=消費者(プロシューマー)とでも呼ぶべきものだった。
 しかし第二の波では生産と消費が分離し、
 大量生産、大量消費は第二の波の最大の特徴となった。
 ところが、第三の波は第一の波と非常によく似た特色を持つ
 すなわち、集中化を避けた生産、適切な規模、再生可能なエネルギー、
 都市の分散化などである。
 これらに加えて、第一の波の特徴であった家庭内労働に対しても
 人々の関心が向きつつある。
 つまり、人々はかっては他人にまかせていた生産の仕事を
 自分でやるようになってきており、
 第一の波のプロシューマーに戻りつつあるといえる。
 
 在宅勤務
 われわれのライフスタイルは、いまやいろいろな面で変わろうとしている。
 家庭で仕事をする人々が、かなりの規模になれば、
 家庭での在り方が変わると同時に、
 地域社会の在り方も変わってくる筈である。
 仕事が家庭で出来る様になれば、転勤というものも今より少なくなってくる。
 そうなれば、人々は家庭に落ちつくことができ、更には社会全体が、
 家庭というものを中心として動く様になるだろう。
 さらに、地域がケーブルによって結ばれる様になると、
 ケーブルを通しての新しい会話や遊びが生まれてくる。
 第二の波の社会では、ほとんどの男性はその地域にとっては
 半住民(パートタイム・レジデント)だったが、
 これからは全日住民(フルタイム・レジデント)として機能することになるだろう。
 必然的に地域共同体の生活に連帯を持つ様になったり、
 地方政治に参加したりする様になるだろう。

 個人差と多様性を認める(ホロニックス)社会
 第三の波の社会は、例えばジョージ・オーウェルが「1984年」で
 描き出した様な高度に集中化した社会、官僚化、規格化した暗い社会ではない。
 また、想像上の理想郷をモデルにした様ないわゆるユートピアでもない。
 我々の目の前に現れているのは、「プラクトピア」とでもいうべき世界である。
 それは、われわれの現状よりましな、現実に即した世界である。
 「プラクトピア」は個人差を認めており、
 人種的、地域的、宗教的な多様性を認める文明なのである。
 プラクトピアは、積極的、あるいは改革的と言って良いほど、
 現実社会とは異なる秩序と制度、価値観を持った社会であり、
 実際に実現できる社会なのだ。
 これまで見てきたように、第二の波に所属する人々と
 第三の波に所属する人々の間で、いたるところで闘争が繰広げれれている。
 まるで第二の波がぶつかり合うかのように激しく・・・・・・。
 未来が何をよしとするか、第三の波の社会において何がもっともよく機能するか、
 今、誰にもその詳細は判らない。
 したがって、我々が想定すべきは1回限りの大規模な再編成とか、
 1回限りの革命的大変革ではなく、
 無数に分散された慎重な実験である。
 我々は、まさに創造者たるべき運命を担っているのである。

    ☆ いつまで、徒党を組んでいるつもりなんだい???

    ☆ 利権の欲しい、お馬鹿な大人達が守っているだけさ!

    ☆ もう、固体の・・・個人の文化の時代なんだよ!

    ☆ 微分積分なんて、何の役にも立たないよ!

    ☆ 人のやった事、なぞってどうするんだ!???


   ☆ ほら、新しい事や物をクリエイトしろ!!!

   ☆ この国を、この星を変えるのは子供達なんだ!

   ☆ 歴史から、そう「歴史から飛び出せ!!!」

トフラーの日本への警告
トフラーは日本がアメリカと共に、第三の波の社会の先端を行く国であることを
再確認したと言っている。
大企業を中心とする終身雇用性が、
ロボットに代表される新しいテクノロジーの導入に際して、
失業という直接のインパクトから日本人を守っており、
それが新しい産業に対する抵抗を少なくしている点にも注目していた。
しかし、彼は「超大国日本」を無条件に信じているわけではない。
それはもはや、神話にすぎず、
欧米の政界や財界の指導者が、自分たちの重大な失策を糊塗するために、
その神話を意図的に利用しているのだとかれは言う。
第三の波の社会へ移行するに当って、
「株式会社日本」の均質性と極端な中央集権は、
むしろマイナスに作用しかねないと警告している。

                  1982年4月 写真で見る第三の波 日本放送出版協会

 第二の波の世界は、同質的な世界、マスプロ社会。
 同質から異質なものの共存する社会へ、第三の波は多様化の時代だ。

 産業革命以来の工業化社会に変化の一撃を加えたのは、
 半導体を中心とした技術革新だ。
 そしてその技術革新から、マスコミが一方的に流す画一的な情報に、
 人々が支配される時代はやがて終わる。
 そしてあるとあらゆる情報が家庭に入り込んでくる。
 私たち一人一人は、情報の洪水に溺れることなく、
 自分にとって何が必要がを見きわめて、
 個性と創造性を育てることである。
 それが第三の波の社会を生き抜くポイントだ。

 コンピューターを「槌」や「鍬」に結びつけて、
 マイクロチップと「頭脳」を結びつけることができると思う。
 やがて読み書きすることは機械に置き換わり、これからは今までと違った能力、
 文章やメディアそしてコンピューターの理解力が求められる。

 21世紀、ネット社会
 「ネットワーク市民が世界を変える」
 今起こっている革命は、社会の権力が逆転して、激しい摩擦が起こっている。
 今までは、広く情報を発信するには、マスメディアを利用するか、
 権力につくしかなかったが、
 これからはインターネットを使えば誰でもが情報を発信できる。 
 今後益々個人の力が増してくる。
 21世紀社会は個人の時代だ。
 最終的には、今とは全く違った社会になるだろう。

 21世紀社会を大きく変革させるインターネット。
 インターネットは民主主義の実践に、中心的役割をはたして行く。

 01年01月01日NHKスペシャルより 
 

 ☆ あれから20年経ち、いよいよ21世紀
 「人間にとって苦痛を伴う、計算するとか字をきれいに書くとかいうことは、
 機械に任せればよい。
 人間は人間にしかできない、新しいものを創造することに力を注げばよい。」
 僕はこのことに力付けられた。
 当時の規格化された工業化社会においては、
 その社会に参加するには、ある一定の基準(規格)に達してないと難しかった。
 計算したり字を書いたりすることが”すらすら”出来ないと
 その社会では通用しなかった。
 僕は、落ちこぼれのロクマモンでしかなかった!?

 ほら、君のそばに居る外道やらフリーターやらプータローやらオタクから
 未来は始まる!!!
 いつの世も、時代はアウトサイダーが切り開く!!!
 年功序列やら、終身雇用やら、不動産やら、そんな消え行くフェアリィテールに
 いつまでも、いつまでも・・・しがみついてんじゃねぇ!!!
 まして、いくら血がつながってるからって、他人の可能性をつぶしてんじゃねぇ!!!
 古い水夫達よ・・・・新しい水夫の邪魔だけはするな!!!

情報革命が働き方を変える。使い方次第で新たなやりがいが見つかる

 十八世紀末に英国で起こった産業革命は人々を農地から解放する一方、
 個人を工業化社会へ組み込んだ。
 農業革命、産業革命に次ぐ情報革命も新たな「解放と従属」を生む。
 ネットが仕事に欠かせない道具となり、個人の働き方を変質させる「eワーク」のうねり。

 第三の革命の波を巧みにとらえた時、一人一人に新たな可能性の扉が開く。

01年1月16日日本経済新聞朝刊「技術創世記」より抜粋

☆☆☆=*=☆☆☆

難しい話で、頭痛くなっちまったい!!!

さて岸波通信を例に取って見よう!
もはや、岸波通信はメディアであると言って良いだろう!
これが、もし出版社であったならば・・・・・
写真集・詩集・散文集・ETC・・・・
会社なんて、詰まらん組織で作って見せ!?!?!?
その経済効果たるや如何程のものであろうか?
軽く億は超えるねぇ!!!
これぞ、THIRD-WAVE!!!
個人の余暇で、これだけのモンを構築することが出来ちまうんだよ!
ブランチはサテライトオフィスたる投稿作家諸氏!!!
簡単に理解可能と思うのですが・・・・・・・いかが???

 経済と文化の発達ってさぁ
 時間と距離の相関関係にあるんだよねぇ〜

 いまや、時間と距離って・・・・
 極論でZEROじゃない?
 とんでもなく世の中変わっていい筈なのになぁ・・・・・
 パワーシフトは起こらない!?!?(なぜなんだぁ〜)
 どうしてって・・・・・

 おバカな大人は考えました。
 時間と距離がZEROだとね、
 ビルや道路や飛行機や船が必要なくなるでしょぅ?
 (あれっ、車はぁ入れないんだやっぱり・・・・あれはスポーツ!!!)

 これって、どれだけの人が路頭に迷って・・・・
 どれだけの政治家が利権を失うことやら・・・・???

 きっとどこかに、邪魔してる奴が居るんだ!!!

 ウソピョ〜ン!!!

 これまでのウォーターフォール型の上からの変化じゃないんだ!
 それは細胞が弾ける様に・・・・
 個人レベルでジワジワとやってくるんだ!!!
 決して、お偉いさんや資本家の鶴の一声で起こるTOP-DOWNではなく、
 我々、個人からのBOTTOM-UPでそれは少しづつ浸透して行くんだ!
 
 おい、そこのオマエェ〜
 気づいた時には、遅いんだかんな!
 オメエェを守ってくれる組織なんてモンは
 影も形も無くなっちまうんだかんなぁ!!!

 実際、大企業倒産が続く!
 良い会社なんてないんだよ!
 だって、環境に合わないんだもの!!!

 事業ってのは、環境適応業だかんね!

 町工場で地球でそこでしか作れない、宇宙船の部品を作るなんてのが
 これからは素敵なんだぞぉ〜


 だから、復唱しておきまする

 大人達はもう、子供達を見守っていることしか・・・出来ない筈なんだ!

 この国をこの星を駄目にしたのは、旧い文化に執着した
 大人達なのだから・・・・

 ああぁ、もう大人達に出来る事なんてなにも無い筈なんだ!!!

 大人達よ、せめて子供達の邪魔をするのだけは辞めようよ!

 この国をこの星を変えられるのは・・・・
 子供達でしかないのだから!

 
 疲れちまったぞぉ〜!?
 ネット作家を気取ってはいるものの・・・・
 これじゃぁ、NET盗作家!!!

 社会派ってば、なんて難しいんだぁぁぁ〜

 まぁいいかぁ!なんとかなるさ、
Let it be!

 

(BY 朱雀RS 2005.9.6)

 















 











 

 






























































































































































































































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