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「春の吹く場所で」(TAM Music Factory)
 

 

 もう10年以上前の話になる。

 父は3年程の間、実家で病床に臥せっていた。

 

 豪快で破天荒な武道家であった父だが、見る影もなく痩せ衰えて寝たきりの生活をしていた。

 教育パパではなかったが、父は厳格で厳しく我々子供達を育てた。

 姉はマイペースで唯我独尊!

 兄は、父に良く従い優等生!

 末は博士か大臣かと評されていた。

 僕はと言えば、事あるごとに反発していた。

 ●●先生んちの馬鹿息子である!

 教育も人間関係の一つらしい。

 相手によっては、大分その関係も変わるらしいのだ。

 

 僕は父が大嫌いであった。

 彼もまたそうであったに違いない!

 クソオヤジと馬鹿息子のまま、父は逝った。

 僕はスケートの選手だったのだが、県記録を叩き出すようになった頃、父が一度だけレースを見に来た事があった。

 ポツリと父が言う。

 ’オマエの滑りは美しい!’

 ・・・・・’馬鹿野郎、美しくたってしょうがねぇんだよ!’

 ’速くなきゃぁ、話になんねぇんだよ!!!’

 

 もっと速く、もっと速く・・・そんな思いで氷を蹴っていた頃の話だ。

 僕はきゃしゃで小柄だ。体重も軽く筋肉も弱い。

 氷を圧する力が弱く、滑走性を得るには、不利な体格しか持ち合わせていなかった。

 ’「柔良く剛を制する」だぁ、フザケルナ!’

 僕はひたすらモアパワーの無い物ねだりをしていたのだった。

 親を恨んでさえいた。

 

 良く考えると後にも先にも、父が僕を誉めたのは・・・・その一言だけだったと思う。

 技術系の選手だった僕に向けて、それは、最大の賛辞だったに違いない!?

 

 ’0.1gでも多くブレードに圧力をかけてやるんだ!’

 そんな思いで日々を滑り込んでいた。

 多分、そんな僕の思いを父は知っていたに違いない。

 航空便で届いたドイツ製のブレード、鹿の皮であつらえたシューズ。

 ワールドカップで勝利した銘柄だった。

 子供には、とんでもなく高価な品だった。

 僕はそれを当たり前のように父から受け取った!

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 父の葬式の事である。

 教育委員会やら、どこそこの校長やら、参列者はお歴々ばかりだ。

 ・・・・誰が仕切るかでもめている!

 でしゃばりの義兄やら、俺が一番弟子だと言い張る人やら町内会の会長やら・・・・・・・

 

 ’御願いだから、陣取りゲームはどこか他でやってくれないかなぁ!’

 これから・・・・

 ’ザマァミロ、死んじまいやがって!’って笑うところなんだから・・・・

 

 あれぇMIZOが居るぅ・・・

 MIZO画伯の自宅は、僕の実家と30mと離れていない御近所だ。

 町内会でお手伝いに駆けつけてくれていた。

 MIZOが優しく声を掛けてくれる。

 ’大丈夫かぁ???’

 

 高揚していた僕の感情は途切れてしまった。

 ’大丈夫な訳ねえだろ!’

 ’文句言いたくても、もういねぇんだから!!!’

 あろうことか、僕はMIZOに当り散らしてしまっていた。

 本当は僕は、オヤジが好きだったのかもしれない・・・・・・

 MIZOはポツンと所在なくそこに居た・・・・・・・

 そして、その後・・・彼がその件にふれる事はなかった!!!

 

 10年強の時を経て・・・・今、ちゃんと言おう!

 ’MIZO、有難うね、ご苦労様でした。’

 ’居心地悪かったね、ごめんね!’

 ずっと気には掛かってたんだ。

 ア・リ・ガ・ト・ウ


 【ギャラリィ宙にて 物憂げなMIZO画伯】

 

 最近もまた、つまらない事件で巻き込んじまって、ごめんね、迷惑かけちまったね!

 まぁ友達だからいいかぁ・・・・・Let it be!

 そうそう、しょうがねぇ・・・天国のオヤジにも言っとくか!

 ’アリガトウ親父、あのシューズで勝てたよ!’

 生きてる時に言えたら良かったね!!!!!

(BY 朱雀RS 2005.6.27)

 

 

 

 

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