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Forward」 (Fra's Forum♪) |
by朱雀RS | |
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1 準から正への道
インストラクターになって3年が経った頃だ。
県の連盟でも、ちったぁ名の知れた存在になっちまって、、
朱雀軍団なんて出来ちまってさ・・・・・
(これまた、面白いことになってしまっていた。)
☆朱雀軍団の勇姿
(弟子達とクラブ対抗の競技会にて)
いやぁ、スキー教師の影響力って凄いものがあって、僕が使う道具と同じものを、馴染みの生徒さんは買ってしまうのだ。
(メーカーが無料でくれる筈だわ。そりゃぁ!)
【写真の解説1】 BOOTSのこと
僕は左足が極端に弱いので、板は2SET手に入れて右左で違うグレードを使用していた。
BOOTSといえば、(これが、スキーヤーの命なんだな!) 右足は242mm左足は239mmで、更に形が極端に違うので、24.5Cmと24.0Cmの2サイズを購入して、加工して、左右別々のサイズを使用していた。
3回程メスを入れたのだが、左足首の骨の数が少し足りないらしい。まぁ、ノーミソと一緒で、左足首は足りない奴なのだ!
【写真の解説2】 板のこと
板はYAMAHAを使用していた。ワールドカップで唯一勝利した国産だ!
この年はメーカーにCAD(コンピューターオートマティックデザイン)で板を作ってもらった。筋力を計測して、僕専用のモデルを作ってもらったのだ。
大回り用の板の心材にはアモルファス(合金を繊維状にして網にしたもの)、小回り用の板の心材にセラミック(なんかセトモノの未来なヤツ)を選択していた。
金属の槍にセトモノの刃だ!
(どっかのWOOD−CORE(木製)の板とはモノが違うんだぞぉ〜い!!!)自分の名前が刻印されたその板を手にした時は涙が出る程嬉しかった!
オレンジのXR、カタログモデルの表面が張られ、RIGHT・LEFTに明確に区分けされたその板は紛れも無く僕の為だけのものだった。
(チョチョギレェ〜のやっほーい!!!)
実はこの頃、僕は正指導員検定の受検を決めていた。
準指と正指は、格も重みもまったく違う。
正指は、スキー学校開設の際は校長となる事が出来るし、
’チミ、スキー教えてもいいよ’
と、準指導員検定の検定員になることも出来る。
僕は南関東ブロックで受検することとなった。難関の南関ブロック(受検会場:車山高原スキー場)だ!
僕は仕事を辞め、山篭りをして、ひたすら滑り続けていた。
山篭りする程、入れ込んでいたし必死だった。社会人としては、失格なんだろうなぁ・・・・・・
(さぁ、道具は揃ったし、練習も積んだ。いざ鎌倉へってなもんだ!)
【ちょっと解説】 正指導員検定について
正指導員検定は、全国一斉に地域毎のブロックで5日間に渡り行われる。
準指導員は各都道府県のスキー連盟が認定するが、正指導員は全日本スキー連盟が認定する。
実技10種目(指導種目5、実践種目5)、学科が3教科ある。
僕は実務(指導)経験を3年間積んだので、受検資格を獲得していた。
2 正指導員受験
指導種目5種目を終えて実践種目でのことだった。
実践種目最初の「急斜面ヴェーデルン(小回り)」でのことだ。
平均斜度32度、スタートから見ると、まるでガケだ・・・・しかも、極度のアイスバーン!!!
アイスバーンなんてものじゃない、青氷だ! ア・オ・ゴ・オ・リ!
(あのぅ、スケートじゃなくて、スキーですよねぇ???)
顔面蒼白!
上越をホームにしている僕は、固いバーンは大の付く苦手だ!
スケート靴を履きたい位の話だったのだ。
呼吸を整えてスタート・・・・・ 1・2・・・シャ・シャ・ズゥー・ズルー
僕はなんと、COATの1/3程を滑落してしまった。
なんとか転倒だけは免れたが、演技のかけらもない!
’外した’なんて程度の失敗ではない・・・・・まるで、話にならないのだ!!!
意気消沈!!!
サポートで駈けつけてくれた兄弟分のナオも無言で保温用のコートを渡してくれただけだった。
(ナオ、なんて優しいんだ。下手な慰めは傷をえぐる。)
この日の為の3年間はなんだったんだ!!!
たった、45秒間程度の内の10秒ほどが、僕の3年間を吹き飛ばした!
「ナオ、終わっちまったい、荷物まとめて帰ろうか?」
「駄目、ユキ、最後迄やりな! 折角準備したんだから・・・・・・」
「得意種目がまだだろ! 挽回の可能性だって少しはあるだろ!」
ナオ、なんて優しいんだ、’少し’って。 ・・・そこまで言うか、このぉ〜!
「ふわぁ〜い!続けますぅ!」
僕のガラスのハートは粉々に砕けて、何も無い状態となっていた。
(これってば、’無我の境地’ってヤツゥ〜????)
ネジの飛んだノーミソの僕は絶好調だった!
残り数種目は空を飛ぶ勢いで滑り終えた。大回り系の種目など自分ではない程の速さだ!
(ウンウン、やっと人並みね・・・・!)
最後の種目、苦手の「総合滑降」(自由演技)でのことだ。
‘採点の着眼点:積極性、シュプールレイアウト’って、
なんだそれぇ〜訳わかんねぇ!!!
仕方がないので、僕の前の受検者が「サロモンSKI−NOW!」なんてTVにでてる奴だったので、マネッコすることにした。
(我ながらなんて姑息な奴なんだ!!!)
ところがっ、驚愕!!!真似なんて出来ねェ〜スゲェ!!!
ホントに飛んでっちまったよアイツ!
いいや、行っちまえぇ!
COAT一杯を使って命懸けの速度!
コケルコケル・・・あぶねぇ、キャッホーイ!
終盤はSTEP−STEPルンルンるん!
ぐぉおおおる(GOAL)!!
あれっ? なんて気持ちいいんだ・・・・・SKIはこうでなくっちゃぁね!
「ユキ、どうしちまったんだ???」
「えっ、駄目だったのぉ???」
「いや、凄く良かった!
全日本の決戦みたいだった。
ユキじゃなかったぞ、今の!」「フェ〜イ、うれぴぃ〜」
3 バカヤロ様な窓
だが、どうしたって、何度自己採点したって、ギリギリの結果にしか思えない。
お馬鹿な頭にネジが戻ってきて、焦燥感と不安の虜となっていた。
結果の集計・判定会などで、半日ほど待たされる。
北海道から九州迄、電話が飛び交っている。
(いまさら、情報収集してどうなるの・・・・・?)
ナオは、折角だからと滑りに行ってしまった。
受検者の雑踏が耐えられなかったので、僕は高原ホテルのビュッフェへと、トボトボ・・・・・限りなく空虚だった。
ぼぉ〜、トボトボ・・・・・エントランスへ向った。ゴン、ガラガラ・ガシャーン!!!!!!!
訳が判らず、立ち竦んでいた!
エントランスと思ったそこは、3m四方ほどの飾り窓だったのだ!
‘このやろぉ〜
田舎の山にこんな、気取ったモン作るんじゃねぇ!!!’僕は只、おろおろするだけだった。
騒ぎを聞き付けて、ナオが駈け付けてくれた。
支配人との交渉の末、弁償が決まり、職人さんを呼んで、見積もりを出してもらった。
¥298、000−也・・・・・・・・・・・って、 一・十・百・千・万・・・・
えっええ〜にじゅうきゅうまんはっせんえんん〜
僕はその場に倒れ込んでしまった!
職人さんが言う。
「アンちゃん、なんともねえかやぁ?」
「よかったなぃ!」
「こんだけ、厚くて重いグラァースだと、腕の一本もぶっとんじまうぞぃ!」
「いやぁ、えがった、えがった・・・」
4 発表!
合格発表の時間となった。
高原ホテルのロビーに掲示される。大学受験の合格発表の雰囲気だ!
‘あっあっ、在ったぁ〜’その日僕は、千葉で93人目の全日本公認指導員となった。
☆千葉で93人目の男
人口比率でいうと、弁護士・公認会計士にも勝るとも劣らないその資格を手にしながら、僕はちっとも嬉しくなかったのだ。
なんたって、にじゅうきゅうまんはっせんえんん〜が頭から離れないのだ!
合格の喜びより、金策の大変さにめげていた。
公認指導員なんだぞぉ〜
あの、きっと飛び跳ねる程、嬉しい筈の泣き出す程の感激がある筈の・・・・
合格の瞬間を返せぇぇ〜
僕は、思う!
ちっちゃな失敗でさえ、大きな喜びを台無しにしてしまうことがある。
ほら、純白のドレスにちっちゃなシミがついたら、なんとなく、着るのも気が引けるでしょう???
注意して注意して、丁寧に生きて行かなければと・・・・・・
うっうっ、泣いてたまるかぁ!
喜びは初心として残して、失敗は、忘れ去られ・笑い話になるんだ!
でもねェ〜
返せぇ〜
にじゅうきゅうまんはっせんえんん〜!!
by 朱雀RS (2005.1.14)
☆千葉NO.93の公認指導員
葉羽
僕の状況を気遣ってくれて、朱雀が書き溜めていた原稿がいよいよ“蔵出し”されて来ました。
朱雀RS、空前の三連続アップ。(Dreamさんみたい・・)
まず、第一弾は、遂に夢の公認指導員を勝ち取った汗と友情と涙の物語からです。
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