BGMは「Fair
Wind」 (TAM Music Factory) |
by朱雀RS |
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1 SKIを始めて
僕はFREE−STYLE−SKIを始めていた。
空を飛ぶのは恐いし、コブ斜面は身体に悪いし、エアリアル・モーグルには目もくれずに、バレエSKIをしていた。
土曜日のバレリーナを気取ってゲレンデへ通い詰めていた。
ナオが言う。
‘三十迄にインストラクターになろうぜ!’
僕は成り行きでうなずいていた。あまり、気は進まなかったのだけれど・・・・・
バレエSKI
(←こんなことをするらしい・・・)葉羽
SKIは主に3分野に分類される。競技・基礎・フリースタイルである。
競技はお馴染みの旗をくぐってスピードを競う分野だ。
僕には圧倒的な欠陥があって、競技は諦めていた。
(体重が軽すぎるのだ、いくら頑張ってもスピードが出ない。)
草レースや市町村レベルの試合だとお立ち台に登れるが、県レベルの試合だとお話にならないのだ。
負けるものはやったって仕方無い、スポーツは勝つ為にやるもんなのだぁ!
こうして、なんだか、訳の判らない、勝ち負けのはっきりしない基礎SKIへとのめり込んで行くことになる。
だいたい、なんで股を開いて滑らなければならないのだ???
あの、なんだ、プルークボーゲンとかいうやつ、大嫌いじゃ!!!
その上、板をずらしてコントロールするんだと・・・・
ただでさえ遅いのに、カメになっちまうじゃないか???
バッカじゃないのぉ〜
スキーってば、重力と遠心力とお友達になって、落ちてくスポーツでしょう? 止めてどうするの?
足を開く、板をずらすなどの基礎スキー特有の技術に馴染むのに数年を費やすこととなる。
モクモクと滑り込む朱雀RS!
(Photo by 朱雀RS)
2 指導員への道
僕とナオは師匠が千葉県スキー連盟所属だったので、千葉県スキー連盟に登録されていた。
二人は、毎年’千葉県スキー技術選手権’なるものに出場するようになっていた。始めての選手権、124位
二回目の選手権、63位
(だめだ、こりゃぁ・・・・・)
3回目の選手権 32位
(ん??)
同年、始めての準指導員検定を受検!
ナオは実技の急斜面種目で・・・・・・・Xマーク
僕は学科の指導法・救急措置で・・・・Xマーク
(あれっ? 俺、実技は受かってた訳ぇ〜?!)
準指導員は二人して落っこった。
’ナオォ〜、30になっちまうよぉ!
もう、やめようよぉ〜’’ユキ、もうすぐじゃん、続けようぜ!’
’フワァ〜イ!!!’
だが・・・・・・
事件は、2回目の準指導員受検の年に起こった!
(4回目の選手権の時だった。)
最後の調整をしていた時のことだ、師匠が驚きの表情を見せていた!
「朱雀、今の凄くいい!!!」
「今のなら、全日本でも点が出るよ!」
満面の笑みを称えてそう言うのだ・・・・・
(またまたぁ、どうせプレッシャー対策で木に登らせる作戦でしょう!)
千葉県のスキー技術選は5種目の合計得点で争われる。
体操やフィギュアスケートを思い浮かべて頂ければ似たようなものだ。
取敢えず、師匠の誉めてくれたイメージで滑る事にした。
淡々と種目をこなすつもりでいた。力を出しきれるようにと思うばかりだった。
2番目の種目、「緩斜面パラレルターン」で、GOAL−ZONEに止まったその時だった。
僕はボーっとしていた。
(ん? なんだか、いつもより気持ちがいいぞぉ〜)
’うおおぉ〜’とチームメイトから歓声が上がった!!!
COATを出た僕はもみくちゃにされて’胴上げ’をされていた。
得点ボードを見ると’99’、’97’、’98’、’98’、’99’。
(最高・最低をく5審3採なので、僕の得点は’98.33’になる。)
「ナニィ〜有り得ない!」
体操の鞍馬で’9.83’を出したようなものだ。
90点前後平均で、県で20位前後の戦いをする僕であった。
「信じられない、うそだ、うそだぁ〜!」
訳の判らないうちに・・・・・僕は、種目別で2位を獲得してしまった。
他の種目は予定より高い92点前後の点数を叩き出した。
(はぁ〜やっぱりなぁ〜、こんなものだろう・・・・・
目標の20位に入れたかなぁ???)
ところがである、皆、0.33の戦いをしているのである。
一種目でも高得点が出ると、平均点はぐっと上がり、順位はポーンと跳ね上がってしまうのだ!
僕はたった一種目の御蔭で、総合9位で入賞してしまったのだった。
実力は20位前後であるにも関わらず、その日、僕は千葉で9番目にスキーの上手い男となった。
千葉で9番目の男
(Photo by 朱雀RS)
3 どさんこに負けた日
ところが、いざ入賞してしまうと欲が出てくる。
千葉県の全日本スキー技術選手権の出場枠は6名なので、僕はあと3名を抜いていれば全日本選手権に出場出来たのだ。
(行きたい! いきたい! イキタイィ〜!!!!!
行かせてくれぃ、全日本選手権へ・・・)
スキー連盟は財団法人の形をとることが多く、利権がらみの関係や争いの強い世界なのだ。
入賞者10名の内、北海道(どさんこ)の選手が6人、カザマスキーホワイトクルーやオガサカスキーチームやどさんこの人達とかぶるが、メーカー所属の選手が7人・・・・・・
純粋に千葉のサンデースキーヤーはたったの2名しかいないのだ。
(あのぉ〜千葉県の選手権ですよねぇ〜?)
バカヤロウ〜 北海道へ帰れぇ〜
コノヤロウォ〜 千葉に来るなぁ〜
どうせ、フロックなんだからぁ! こんなの二度とないんだからぁ!
お願いだぁ!!!行かせてくれぇ!!!全日本選手権にぃ〜
北海道(どさんこ)のアホタレェ〜 (うっうっ・・・)
その年、ナオと僕は、揃って準指導員に合格して誓いを果たした。
僕は体育教師にこそなれなかったが、スキー教師のはしくれとなった。
僕は思う!
「身の丈に合わない」とか、「実力相違」とか・・・・・・高望みをしてはいけないのだと。
人には‘分相応’ってもんがあるのだぞと・・・・だけどね、だけど行きたかったよぉ、全日本!
こうやって、抜け出せなくなって身を崩すアスリートって、実は沢山いるんだろうなぁ〜ギリギリの人達!
翌年の5回目の千葉の選手権では、11位で終了!
(あれぇ、あながちフロックでもないじゃん!!!
あと5人抜けば全日本出場じゃん!!!)
が、毎年、抜かなければならない人達は増えていくばかりであった。
こうして、ハマって抜け出せなくなってしまった僕であったのだ。
(いまだに、現役なんだぞぉ〜!
あの日の入賞はなんだったのだろう? うっうっ・・・・・・)
夢ぇ見ちまったじゃぁないかぁ!
僕の青春を返せぇぇ〜!!!
お願いだ、やりなおさせてくれィ!
うんにゃ、泣いてたまるかぁ〜!!
(SKIってば、面白いんだもの・・・・・・)
BY 朱雀RS (2004.11.17)
今日も風をあつめて
(Photo by 朱雀RS)
葉羽
寄せる波があれば引く波もある。
人生すべて“塞翁が馬”。
そして、成功は一時の喜びをもたらすけれども、失敗から学ぶことで、より多くの人間的な成長があると思う。
だから・・・
どんなことがあっても“泣いてたまるかっ!”
頑張れ朱雀RS。僕たちは君を応援する。
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