by朱雀RS朱雀RS

 



1 インちきラクター

 スキー教師になって何年もの月日が流れていた。

 嫌いだった基礎スキー、’クソスキー’って馬鹿にしていたのに・・・・・

記念すべき初講習

☆何十年か前の

記念すべき初講習

 

 実際、スキー教師には、冬の間、比較的自由な人が多い。農業に従事されている方が多いのだ。

 ’夏はトラクター、冬はインストラクター’

 〜などと言っては、インちきラクターなどと呼称して相手にしなかった。

 いざ、自分がインちきラクターになってみると、これが、結構スゴイ世界なのだった。

 

 人前で転ぶのは恥とされるし・・・・なにより、ゲレンデでは絶対的存在でなければならない。

 胸に輝くバッチにかけてってなもんである。

 いささか、武道に似た感触があるのだ。

悪魔
(やめてよぉ〜
精神論や方法論で済むならば、夜を明かして語り合えば、
上手くなっちまう訳ェ〜???
もっと、リベラルなものでしょう、スポーツって!!!
だから、日本スキーは世界で勝てないんじゃないの〜?)

 

 僕は、自分の道を歩むことにしていたのだが、やはり、胸に輝くバッチにかけて、下手クソと呼ばれるのは嫌だった。

 実際、良く練習したし、感覚もイメージも格段に上がっていた。

朱雀RS(選手権では、勝てなくなっていたが・・)

 確かに僕はどんどん上手くなっていた。

☆一番弟子のNEXT−ONEと

(白い世界の中で・・・練習じゃあ!)

 

2 滑り続けるということ

 クソスキーも、その採点基準に’速さ’ってモノサシを取入れて正しい道筋を歩むようになっていた・・・が、反面、僕の選手権での成績は落ちる一方だった。

朱雀RS(だって、遅いんだもん、僕ってば!!!)

 競技から基礎へ転向する選手が物凄く増えていた。

悪魔
(生まれた時から、スキー板を履いて、スキーで学校に通っていた人達に勝てるわけないでしょう!!!
 雪無し県の千葉のスキーヤーなんだぞぉ!
 サンデースキーヤーなんだぞぉ!!!
 ふん、あんまりくやしいから、続けてやるんだ。)

 ボロボロの成績で滑り続ける老兵が何年たってもそこにいた・・。

 

 「あれぇ、朱雀さん、まだ続けてるんですかぁ?
 長いですねぇ!」

 ‘オマエなぁ、毎年同じこと言ってんじゃぁねぇぞ!’
 ‘御願いだから、ほっといて!’
 ‘俺はゼッケンを着けるのが好きなんだよ!’

 審判員が同僚や後輩になっていた。済まなそうに低い点を出してくる!

悪魔
(偉そうに採点してんじゃねぇ!
俺と一緒に滑ってみろって・・・・
講釈ばっかたれてないでさぁ、
滑って見ろってば、君達には負けないよ、絶対!!!
役員面して、口と頭でスキーしてなさいって・・・
身体でするんだよね、スポーツって!)

 滑らなくなった人達は指導員資格を返上するべきだよ!

 生涯資格なのはおかしい!

 まぁ、運営する人達がいなければ、成り立たないけれど(とても感謝しているのだけれどね)、
滑らない人達にスキーを語って欲しくないなぁ!

 まぁ、昔教えた人に採点されるって妙な気分なんだな!

 

 やがて、ベテランスキーヤー選手権なんてのが開催されるようになった。

 僕みたいなオヤジを締め出す作戦らしい。

 ‘40歳以上の方はこちらへどうぞ’だってさ!

 出てやろうじゃないの、はい、3位入賞!!!

 県で3番目に上手いオヤジスキーヤーになっちまったい・・・って、ちっとも、うれしくないぞぉ〜。

 だって、6人しか出場してないんだもの・・・・・・

 しつこいけれど、僕の上二人はオヤジ道産子だかんね!

 

3 EVOLUTION

 長い板を操るのが誇りだった。

 200Cmの板がインチキラクターの間では基準だったので、わざわざ、メーカーに御願いして202Cmだの、203Cmだの変な長さの板を作ってもらったものだ。

 ’俺の方が長いぞぉ〜’って、御馬鹿な話をしたものだった。

 そんなある日、遂にソイツはやって来た!

 

 バブルが崩壊してスキー人口が激減した頃だった。

 スキー用具のEVOLUTIONが勃発していた。

 カービングスキーとか称して、オシャモジみたいな幅の広いショートスキーが出現したのだ。

 スキー界全てがカービングスキーに浸蝕されてしまった!

 あっという間だった。

 SKI−BOOTSもカービング対応とかでハイヒールに変貌してしまった。

 道具に思いきり依存するスポーツである。

 まさに僕には’青天の霹靂’だったのである。

 

 拠り所のYAMAHAはスキー業界から撤退してしまった。

 地球で唯一、CAD(コンピューターオートマティックデザイン)による生産をしていたそのメーカーは新しいマテリアルのデータベースを持っていなかった。

 職人を持たない唯一のメーカーは開発費を捻出できずに、その輝ける長い歴史に幕を引いた。

 世界で始めて、グラスファイバーという心材で、木材以外のスキー板を世に送り出したそのメーカーの終焉に僕は涙し、YAMAHAのウェアを脱いだ!

 早々に他のメーカーから引合いが来た。

 「朱雀君、これ履いてみてよ!」

 始めてのカービングスキー・・・・・・・だめだぁ!!!

 どうしても、狙ったラインをトレース出来ない!

 板があらぬ方向へ進むので、上体と下半身のコンビネーションがとれない!

 長年愛用した板の消滅と共に僕も終わってしまうのか????

☆悩めるSKIマン

(なんだかヘタクソになっちまって、
アジの開き状態の朱雀RS)

 ちきしょう〜いまさら短い板なんて使えるかぁ!!!

 うっうっ・・・・・・終わってしまった。

 模範演技を演じれないスポーツ教師なんて・・・・僕は許せない!!!

 革命に僕は負けてしまったのだ。

朱雀RS(うっうっ・・・・・)

 こうして僕は、長年連れ添った命とも言えるSKI−BOOTSを脱いだ。

 

 くそぉー、泣いてたまるかぁ!

 こんな事で辞めてたまるかぁ!!!

 ちょっと休むだけなんだ。

 I’LL BE BACK!!!

 

 思考錯誤の日々が僕を待っていた・・・・・・。

    by 朱雀RS (2005.1.16)

 

habane葉羽

 青春をかけたスケートを思わぬ事故で断念し、一時は自暴自棄にもなりかけたが、生涯を通す友人とめぐり合い、そこから見果てぬスキーへの挑戦。

 やっと栄光を手にしたのもつかの間、今度はスキー板の技術革新の大波にさらされ、頼みのYAMAHAが業界から撤退。

 さあ、朱雀は、本当にスキーブーツを脱いでしまうのか?

 いよいよ佳境に入った「男は男である!」の“火の玉シリーズ”、次号必見!!

 

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