その28 慶徳稲荷田植歌
Photo by なっちヤン
Site-arranged by 葉羽
BGM by MIDI畑
"宝石“

   慶徳稲荷田植歌

 稲荷田のたないに 浸す種ははになに
 葉広の早わせ 八束穂のおぐしね
 山田にも石田にも 石田にも山田にも
 おん田の神の 注連張えて
 千刈り田は 二千刈り
 五百刈り田は 千刈り
 おん田の神の 早苗振り
 歌酒に あか餅
 たんとめせ 早乙女たち
 しょうふもよれ あかもよれ
 引きつれ 皆んなよれ
 ご正田に田つくる 民の宝は子宝
 稲荷山の杉村 村の栄えもこ高き
 かかしにも驚かず 鳴子にもさわがず
 秋の田の 刈り田に
 やもめ鳥が 穂拾う

 

  祭事の由来 by 葉羽

 喜多方市にある慶徳稲荷神社所蔵の古文書によれば、この田植神事の由来は、明暦二年(1656年)以降中断していた祭事が天保五年(1834年)に再興されたとあります。

 200年近くも中断されていたため、神事の道具類についてはこの時に新調されたようで、田植人形の収納箱には天保五年の銘があります。

 一方、田植歌については、別の古文書に「御田植歌者古来御社造立之時民之歌謡也」とあることから、かなり前から歌われていたと思われますが、長期の中断のために旋律は既に忘れ去られていました。

 そこで、新たな旋律の作曲を行ったのが浦上遜(号:秋琴)という人物で、彼は江戸時代の南画の大家であった浦上玉堂の二男でした。

 浦上玉堂は、会津松平家の招きで会津を訪れ、藩士に対する雅楽教授を任されていましたが、その才能を愛した松平公からの長期逗留の依頼を固辞し、代わりに二男を残したのです。

 二男秋琴の音楽的才能もまた素晴らしく、彼が作曲した古雅で荘重な慶徳稲荷の田植歌は、田の神への祈りの歌として愛され、現代にまで歌い継がれているのです。

(photo by なっちヤン「慶徳御田植祭」)

 
 

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