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by Maruyama Yoshiko / Site arranged by Habane |
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(丸山芳子)夫婦で宮城県を巡る3日間の旅をしました。
【2023/4/27】 気仙沼市「東日本大震災遺構・伝承館」 宮城県石巻市で開催されたパフォーマンス・イベントを見る計画をきっかけに、石巻在住の旧友との再会や、東日本大震災で被災した海岸地域の12年後を感じ取ろうと、先週、夫婦で宮城県を巡る3日間の旅をした。 震災の被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県には、震災遺構やその経験を後世に伝える伝承館がとても多い。 今回の旅では宮城県内のいくつかを拝見した。とても印象に残ったのが、気仙沼市の向洋高校の被災の姿を当時のまま提示していた「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館」。 海からわずか150mの地にあった校舎は、高さ13mを超える津波と流されてきた物体の激突をまともに受けた。まるで防波堤のように。 海側の窓は破壊され、3階の教室に飛び込んだ車や、流れてきた冷凍工場に激突されて折れ曲がった4階の外壁から、すさまじい津波の威力をうかがい知る。
また、校舎の棟と棟の間には、引き波で流されてきた車やボートなどが引っかかって折り重なっていた。
4階まで津波が及んだために人々が避難した屋上に立つと、ここから荒れ狂う津波を見ていた人々の心境が想像できた。 屋上からの眺め 校舎の隣は、現在パークゴルフ場となり、人々が競技を楽しんでいる様子が、窓枠が外れてむき出しのコンクリートの窓穴から見える。 混乱と破壊を極めた教室内と、窓の外の麗らかな光景とが、12年のギャップをみせて感慨深い。 1階の教室 震災遺構の校舎と組み合わせて作られた伝承館では、掲示物や映像を見ることができる。 「気仙沼市階上中学校 卒業式」の映像は、津波から間もない日に行われた卒業式の、15歳の梶原くんの答辞が映っていた。 「苦境にあっても天を恨まず・・」と涙を振り払いながら語る姿。その後方では、おそらく被災してこの体育館に避難した人々らしき姿も映り、いっしょに聞いている様子。 未曾有の災害のなかで前を向いて生きていこうとする梶原くんの答辞に、大人たちも励まされ、掛け声と拍手が送られた感動の映像だった。 葉羽 福島は震災遺稿を残しませんでした。色々な考え方があったと思いますが、少し残念な気がします。
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