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(丸山芳子)母の通院のため帰郷しました。

 

2026/3/20】 帰郷

 日曜日に小金井公園野外展のアーティスト・トークをして、月曜日に確定申告を済ませて、火曜日に野外展図録のデータを準備してから郷里に帰り、水曜日と金曜日に母の通院の付き添いをした。

 病院の帰り道、母の歩行に合わせてゆっくり歩きながら夕焼けを見上げた。きれいだね、と話しながら。

 歩行補助のシルバーカーに支えられながらも母が自分の足で歩き、会話ができるありがたさ。超高齢になると、今日元気でも明日元気とは限らないから。

 スリリングな思いを感じながら、毎月のサポート帰省を繰り返している。

【2026/3/15】 故郷で3.11を過ごして

 東北の震災から15年目の日を郷里の福島で過ごすと、地元の人々とは自然に15年前からのことを振り返る話題になる。

 母の通院でよくお世話になるタクシーの女性運転手さんからは、震災後に原発周囲から避難した方々から聞いた話を。福島ナンバーをつけていると、車に傷をつけられたり運転中に幅寄せされたりしたという。

 同情ではなく、嫌がらせをする心理ってなに?

 私は、原発事故の現場である双葉町で出会った青年の話をした。彼は福島原発事故を知って、東京暮らしの自分は電気のただ乗りをしていると気づいた。家族と共に双葉町に移住し、現地の再生を応援する仕事を始めた。

 東北の震災をきっかけに私が開始した「精神の〈北〉へ」プロジェクトは、2012年から福島県の会津地方の方々の協力を得ながら準備を開始した国際交流活動だ。

 2013年1月にスタートした喜多方市での開催のころは、まだ原発事故後の影響が色濃かった。そんなときに遠路はるばる広島の人がトークの催しに来て、「これからもがんばって!」と言い残してくれた。

 その後、私が長崎での展覧会に参加した際に、情報を得ようと立ち寄った観光案内所で応対してくれた女性とは、どんな話の流れだったか、私が福島生まれだと言ったら、彼女が「私は原爆2世なんです」と言った。

 互いに目が潤んで、その思いに何の説明もいらなかった。 福島の原発事故によって「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」という言葉が生まれたためか、共通の痛みや共感があったかもしれない。

 私は震災を東京で体験したため、現地で被災した人々のことを想像でしかわからない。

 15年の節目に語られる当時者の心のひだや、この3地域に限らず各地の公害や病をもとに生ずる差別など、人の心理についてもっと理解したいと思う。

葉羽 今回の記事には、震災で母を亡くした当時を思い出して泣けました。

 

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