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その242

風に吹かれて散る桜、落ちずに飛べよ、青空に。

「さまざまのことを思い出す、桜かな。芭蕉」という俳句が文頭にある挨拶状が届いた。

 私の従姉妹の旦那Mさんで、長く会津地方の大きな病院で院長をやっていた方だが、この春、院長職は定年退職で、これからは一内科医として、継続して勤務するらしい。

 Mさんは70半ば頃の年齢だと思うが、エライ。身内にこんな立派な人がいたのだな。私も見習らいたいが、今さら手遅れか。

 医者に定年はないので本人が元気なうちは働けるが、他にやることはないのか、なんて思ってしまう定年前に早期退職したボクです。

 諦めて退職することは「諦念退職」になるが、早期退職は退職金だけでなく年金も少なくなる。

 やっぱ諦めて「定年」まで勤めたほうがよかったのか。

 文頭の芭蕉の俳句だが、いろいろと考えさせられる。

 Mさんは医者として多くの患者に接し「元気になって、来年の桜を一緒に見ましょう」と患者を励ます事が何度もあったろう。

 また、時には患者の家族に「来年の桜咲く頃まで生きるのは難しいかもしれません。覚悟して下さい」と厳しい病状を伝える事もあったと思う。

 昔から桜咲く春は季節の節目で、学校も卒業や入学と、春が別れと出会いの季節になっている。

 一時、日本の学校も欧米に合せて9月入学なんてノタマウ、教育評論家がいたが、何でも欧米に「同化」しようとする思考は「ドーカ」している。教育の本質な機能は伝統や文化の継承だ。

 今、満開の桜だが、来年も見れるとは限らない。

「♩満開の桜や、色づく山の紅葉を、この先、何度見ることになるだろう」は、竹内マリアの「♩人生の扉」だが歌詞が泣ける。英語の歌詞も挿入されているだが、これまたナイス。

 今年は「古希」の「扉」を開ける私だが、75歳になれば後期高齢者の「扉」、もう少し長生きすれば「喜寿」の「扉」も開けられるのか。

 扉の先は、開けてみなければ分らない「秘密の花園」で、未来は未知との遭遇だが、寿命があれば未知の「扉」を開けてみたい。

 竜宮城の乙姫様は、「開けてはいけません」といいながら、何故「玉手箱」を浦島太郎に渡したのか。

「開けてはいけません」なんて言われれば、言われるほど開けたくなるではないか。ツーカ、開けてはいけない「玉手箱」を渡す乙姫様はヘン。

 でも、そのまま浦島太郎が、素直に乙姫様の教えに従って「玉手箱」を開けずに物語が終わったら、話がつまらなくて視聴者から猛抗議がくるな。

 開けてビックリ玉手箱だが、ビックリして転び腰を痛めると「ビックリ腰」になるので注意だな。

 良寛の俳句に「散る桜、残る桜も、散る桜」というのがある。

 桜前線北上中だが、後を追うよう葉桜前線も北上中だ。雨風に耐えて長く咲いていた桜も、やがて散る。

 私も古希ちかくなり、振り返れば多くの知人が散っていった。今まで運良く生き残った私だが、いつかは散る桜だ。

「余生を楽しむ」なんていうが、その「余生」の長さが誰も分らない。

 あと何年残っているのか、そんな事を考えるのは「ヨセー」なんちゃって。

「風に吹かれて散る桜、落ちずに飛べよ、青空に」なんて、良寛様に比べると、まだまだ青い古希マジカのボクです。

 (2024.4.13)アンブレラあつし

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