やはり月2回の投稿が自分の生活リズムにあっている。
書くことがないといってサボルと心苦しいものがあり、つまらない内容のブログでも「継続は力なり」だが「低俗も力なり」で、高尚な内容を書こうと思ってはならない。
それに定期的に公表される「大本営発表」岸波通信ランキングも気になる。
サクマ君の野鳥ギャラリーが文字通り「飛ぶ鳥」の勢いで、このままのペースでは、統計上、今年中に抜かれるな…。
厚生労働省の統計調査が話題になっているが、現代人はデータ・数字に弱い。
テレビは視聴率、新聞は購読数、政府は世論調査の内閣支持率、日銀は景気指数などなどだ。
ユーチューバーは再生回数、ブロガーは「いいね」数だが、千葉県人
を片言のブロークン英語でユー、チーバーとは言わないか。
私も血圧数や体重が気になり一喜一憂しているが、「世の中に絶えて数字のなかりせば、春の心はのどけからまし」か。
カラマシって激辛カレーの辛増のことではありませんから。
関西では「しょっぱい」も「辛い」と言うが、私には「辛い」と「しょっぱい」は違う味覚だ。
七味は辛いし醤油はしょっぱいのだが、調べたら「しょっぱい」は方言とあってビックリスマス。
以前にビックリキントンとダジャレたので変えてみたが、スルーして下さい。
と書きつつ、次はビックリントン大統領などを考えている昭和ダジャレオヤジの私です。
数字だが、教育界では偏差値というモノサシが昔からあり、学校が偏差値の数字をもとにランキングされる。
この偏差値神話は昔からあって、偏差値が高い学校に入った子供はエライので、親も威張れ自慢もできる。
日本は階級社会ではないので、基本的に平等だが、人間は本来、他の者とは違った存在でありたいという自己顕示力がある。
周りから区別されて、また周りを差別して優越感を持ちたいという本能はなくならない。
大新聞のA・Y・M新聞も論説等では、学歴至上社会を非難するが、週刊A・週刊Y・サンデーMの週刊紙では、この季節になると「○○大学合格者」の高校名を大々的に発表するのが週刊紙の習慣だ。
所詮は新聞社も商売なので、売り上げのために高校を序列化することに躊躇はしない。
学歴は気になるが、学歴にこだわるのはエゲツナイし、あからさまに学歴を聞くのも無礼で、かっこわるい。
が、内心は多くの人が関心がある。隠れてキリスト教を信仰するのは隠れキリシタンだが、隠れて学歴を信奉する人はガクレキリシタンか。
過日、上野公園で日本で活動する外国人の宣教師家族に出会ってしまい、長いこと「大事なオハナシ」をうけたまわった。
昔、学校の歴史の授業で教科書のフランシスコ・ザビエルの頭を見て、鉛筆で黒く塗った私だが、そのタタリか、私の頭もザビエル化してして久しい。
「死後裁きにあう」前に裁きにあってしまった私だが、「髪の教え」は「神の教え」で、私の頭は日々、光の世界に向かう「原罪進行形」だ。
(2019.2.20)アンブレラあつし |