今年6月で、母は85になる。
記憶・耳・眼・血圧・・・
少しづつ衰えて行く母を見つめている。
大袈裟な僕は去年
「オフクロがボケたぁ!!」と大騒ぎしたものだった。
主治医に相談したら・・・
「ああ、それ普通ですよ!」
「人間も古くなれば、少しずつ壊れて行くものなのです。」
(悪魔の声)このやろぉ~物みたいに言うなぁ!
「高血圧が気になりますが、特に異常はありません。」
ほっとするにはしたが・・・なんだか、やるせなかった。
そんな母から、唐突に一通の便りが届く。
『今年も健康第一に生きて行きましょう。
ヒデユキにとって、今、現在が一番大変かも知れませんよ。
私も何回もそうゆう時がありましたが、
ガンバッテ今まで生きて来ました。
まだまだ死なれません。
今年もみんなが健やかに生きて行くことを心から願っています。
元気でね。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。』 母より
「お~い、ダイジョブかぁ??」
かあちゃん、オレ28年振りに、この正月は家に居たからぁ!
雪がないから、山篭りせんと実家に居たからぁ・・・
ぼけてんじゃぁねぇぞぉ!
僕はふと思い出した。
あの女は、チャメでC調(どっかずっこけてるの)であった。
ああ、年賀ハガキ余ったんだなぁ・・・
これ、かえってダイジョブなんじゃねぇかぁ?
言葉一つ一つに家族の歴史を思い出していた。
母と息子、父と息子・・・Etc
僕は15で家を出ていたので、
記憶も歴史も極めて希薄だ。
僕は彼等になにも期待していないし、
彼等もまた、僕にはなんの期待も持ってはいないであろう。
そこへ、この便りである。やっぱり、なんだかやるせない・・・
少しの涙に・・・僕は今、家族を思う。
家族って・・・・・・
家族って、寄り添い支えあって生きて行く最小単位。
最後にはやっぱり帰化する場所、それが家族!?
僕は8歳の頃から、全国各地を転戦する競技者だったので
家族のことは良く判らない。
週末は移動する車の中で大半を過ごした。
ホントは支えられて競技人生がおくれたことさえ、
良く理解していない。
15で越境入学したので、家庭の団欒なども良く判らない。
物心ついた時の僕の単位は一人だったような気がする。
家庭や家族を強く意識するようになったのは、
つい最近のことだったような気がする。
父はもう空に居る。親不孝しかしなかった。
年老いた母が言う・・・
「ヒデユキちゃん、アタシが生きてる間は、ちょくちょく帰っておいで」
ガキの頃は親なんて逆らう為にしか存在していなかった。
僕はちょっと困ったちゃんだった。
今頃、優しくすんなよなぁ~!
家族と仕事のことばかりを考えていた・・・
なんだか悔しい・・・
あの時、こうすれば良かったなんて想いばかりだ・・・。
やっと、気付いたよ! これからの事しか実現はしない。
クソオヤジとクソガキで俺達は良かったんだ!
うん、良かったんだ。
オヤジィ、良かったんだよなぁ?
僕はきっと好き勝手に生きてきた・・・
それが正しいかは定かではない。
でもね、きっと良かったんだよ!
ここ数ヶ月はね後悔ばかりしていたんだ。
だけどね、時間は戻せないものね・・・先の事を考えようぜ!
これからどうしてくれようか・・・歩きながら考えるさ!
次のフィールドへと・・・
家族や仲間のことを凄く考えるようになった・・・
円・和なんて漢字が頭に浮かぶ・・・
「人」って漢字が脳裏をよぎる。
「人」は支えられて皆生きているに違いないんだ。
久しぶりに教会でも行って・・・祈って懺悔でもして来ようか?
唯一の気がかりは残るが・・・
うん、それでさえ・・・全てを受け入れて、
なおヘコまない自分をイメージしよう!
ある程度運命で、ある程度自業自得。
おい、てめぇのなりたい自分ってぇ奴を考えな!!
「お金持ちになりたいっ!」
あっ違った・・・
今、やはり、母の意志を引き継ごうかと・・・強く想い始めました。
あの女はきっと・・・
「人として正しくあること」
そう心に決めて、生きて来たに違いないんだ。
そうきっと、きっとね、それだけのことだったんだよ!
オテントウさまが、東から登って
西へ沈むことを喜べるような人生を・・・
余った優しさしか貰えなかった・・・
余った優しさしかやれなかった・・・
それはそれで・・・仕方なかったんだよ・・・
でもね、きっと今は違う・・・
おい、てめぇのなりたい自分ってぇ奴を考えな!!!
上を向いたらキリがない 下を向いたらアトがない
泣いてたまるかっ! 夢がある
(by 朱雀RS 2012.12.31 リニューアル・アップ)
いいお母さんだな。幸せ者だよ、お前は。 |