葉羽
「用管窺天(ようかんきてん)」は『荘子』秋水篇にでてくる言葉で、細い管に目を当てて天を窺い見るということから、視野が狭くて見識が足りないという意味。
こう聞けば「なんだ、井の中の蛙大海を知らずじゃないか」と思うでしょう。実は、この言葉(「坎井之蛙」かんせいのあ)も同じ『荘子』秋水篇ですぐ前に出ているのです。
一方、江戸いろはがるたには「葦(よし)の髄(ずい)から天井(てんじょう)を覗(のぞ)く」という同義の言葉があり、どうやら古今東西、愚か者はどこにでも居たようで。
(2015.1.22掲載) |