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#152 元気の源

fumie お客さまに「女将さんいつも元気ですね。その元気の源はいったい何ですか?」と聞かれることがあります。 「さあ何でしょう?」その都度笑ってごまかしていました。

 実はお店を開業する前に亡くなった母が私の元気の源なんです。 私は母に父に愛されていないような気がしていて、2才の娘を連れて10年近く両親と離れて暮らしていました。 同じ福島市にいて、なるべく実家に近づかないようにしていたんです。

 ある時父から母が入院したとの連絡が入り病院へ急行しました。母は末期の癌でした。余命は今日、明日かも。と。 私はなんてことをしてたんだろう! もっと近くにいれば私がそばにいれば、体の変化に気づいたはず。こんなになる前に…。 母は60前。嘘。そんな…。

 遅いかもしれないけど、時間の限り母のそばにいて何でもしたい。 入退院を繰り返したけど、ぴったりくっついていられた1年半。母は頑張ってくれました。 ぽつりぽつりと母は辛かったことも話してくれました。

 母は5男2女の末っ子。姉とは9才離れていたそうです。その姉と私の父は母がまだ小学生の頃結婚を前提に交際してたそう。母はまだ小さかったので何も知らなかったそうです。

 母は父と結婚する時に両家の家族に反対されたそうですが、誰も父が自分の姉の元彼だとは教えてくれなかったそうで、後になっていろんな所から知ることになったそうです。

 後に父から聞いた話しによると、召集令状が来たので無事に帰れるとは思えない父は母の姉に自分を待たないで嫁に行くようにと話し出征したそうです。

 でも戦地で結核になって入院してた為、終戦からずっと遅れたそうですが無事に帰ってこれたそうなんです。もちろん、すでに母の姉は結婚して幸せになっていました。切ない話。母も母の姉も父も…。複雑な気持ちになりました。

 幼い頃から母が荒れていたのはこんな事情があったからなんでしょうね。

「あんたがお腹にいた時阿武隈川に入ったんだよ。助けられちゃったけど…」 と6才の頃聞かされた私。それがずっと引っかかっていました。

 母を喜ばせたい。笑顔になって欲しい。その一心で私は一生懸命勉強をしました。でも母はなかなか喜んではくれないんです。きっと精神的に相当まいっていたんでしょう。 人にはいろんな事情があるものなんですね。

 母は入院当時お寿司やさんを経営してました。 あまり上手くいってはいなかったらしく、「お店継いでくれないかなあ?」と遠くを見て何度もつぶやいていました。

「そうだね。寿司は無理だけどね」と私。

「あんたは頑張りやさんだから、何でもできるよ。」と母。

「お母さん、私を生んでくれてありがとうね」やっと言えた私。

「苦労をかけたね」と母。

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 母が亡くなって1年半後(南風亭)開店しました。 開店から27年。何があっても不思議な力が私の背中を押してくれます。 それが私の元気の源なんです。

 もちろん家族、友人、沢山のお客さま、Facebookを通じてのお友達が私を支えてくださっています。 本当にありがとうございます。感謝しております。 これからもどうぞよろしくお願いします。

 随分と長くなってしまいました。 ✨✨今日もまた皆さまにとって愛の溢れる素敵な一日でありますように‼️✨✨

葉羽 素敵な話をありがとう!

 Photo by fumie
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