PART
2 「復興」
南相馬市鹿島区南海老の海岸線北の高台へ向う。
震災時この高台のこの場所で、3名の家族が津波の犠牲になった。1枚目の写真は震災後遺族が手向けた花と墓標。先週この場へ来た時に悲しい光景を見る。
今は花を手向ける人もいないこの場所に・・・ゴミの投棄。この場所は当時に比べるとガレキもかたずけられ整備されている。一見被災の陰はみえない。これが「復興」なのだろう。これを「復興」というのだろう。
地の記憶は「復興」によって「場」が持つ意味を喪失する。 「復興」とは墓につばを吐くことなのか。 ここは祈りの場であった。 これは小さな小さな傷かも知れない。「復興」の名のもとの・・・。 |