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MP3"星屑" by 音楽の卵
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当時は色々な意味で遊んではいましたが、(;^_^A アセアセ・・・
当時私の母が病気で・・・
『ガン』と言う事でした。
それでも早期発見だったので、今は手術で完治?はしました。
まあ、今でも年に1、2回?入院をしています。
おかげで元気?(;^_^A アセアセ…訳分からない?

最近は親父の方が心配かも?(;^_^A アセアセ・・・
母は、『ガン』とは関係なく?
色々病気のデパートみたいなもので・・・┐('~`;)┌
骨粗しょう症もありますので、骨折が多いですけどね。
それなりにお歳ですから、ある程度は仕方ありません。

『ガン』発見の時は、
転移されていたらまず助からないと言われましたから、
御の字でしょうね。(^_-)---☆Wink

でも、当時は親父の落ち込みもだいぶありました。
私の兄貴と言うのが、若い頃『家出』したりと色々あって・・・
私のように『ヤンキー 悪』では無かったのですが・・・
母親が随分私の前で泣いて愚痴をこぼしていました。
私が二十歳過ぎに一人暮らしをしようとしたときも・・・
『あなたまで私を捨てるの!』
って・・・┐('~`;)┌

まあ、反面教師というか?
おかげ様で?私は何とか最後の一線を踏み越える事が無かったのかも?
当時の性格・行動・・・どれをとっても?
間違いなく?裏社会へまっしぐらでしたからね・・・

母親が泣いていなかったら、今の私はありませんね。(;^_^A アセアセ・・・
生きていなかったかも?(;^_^A アセアセ・・・
母親の涙は・・・結構効きますよ・・・うん!(^-^)

それはともかく、そんな事でしたから、
親父も当時私にだけ?弱味をさらけ出して?
ストレスを解消していました。

そんな事もあって?
当時の私の頭の中には・・・
『早く結婚して、孫の顔でもみせるか?』
と考えていました。

母親は、当然前の彼女と私が結婚するものと思っていました。
彼女は毎週のように私の家に来ていましたし、
私の家で家族と食事もしていました。
看護婦になった時も
『もし、お母さんが入院したら、私が看病するから。』
なんて話していましたからね。

母親の『ガン入院』と彼女との別れが同時だった事もあり、
少し焦っていた事もありました。

横浜デートの最後の時、車の中で・・・
『俺は早めに結婚するよ。別に君と結婚前提と言う訳じゃないけど。
一応その事は頭に入れておいた方が良いかもしれない。
君が結婚が嫌ならあまり僕とは深く付き合わない方が良いと思う。』
まあ、いきなり19歳の娘に初めて会って言う言葉じゃないよね。
(;^_^A アセアセ・・・

 《掲載:2017.5.9》by GIN

葉羽葉羽 次回は第一の佳境「婦女暴行と強盗未遂」。ええ~!!?

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