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ので、ググると文化財登録されているとのこと。
以下抜粋↓ 「江戸時代初期の鬼怒川開削によって、 んだそうな。 ちょっと待て、会津の米もここに来てたわけ!? どうやら、米を江戸まで運ぶのに栃木までは陸路で、そこから水運を使い、鬼怒川を延々下ってきた様子。 へええ、面白い! せっかく所有されている方と会うので、失礼を承知で「実はあっちの蔵が気になってるんですけど」と言ってみる(汗)。 図々しくも仕事と全っ然関係ない蔵の中まで案内して頂き、ひたすら恐縮するも興味深く見せて頂く。 梁を見ると別な建物を解体した再利用なのかもとのこと。 入り口上の煉瓦が斜めなのは装飾? 後日、さらに図々しくも埋文調査員の夫も一緒に再び訪問。 下の色が違うのは焼締めレンガと言って、釉薬を塗って高温で焼くため水が染みないのですが、表面だけのようなので、たぶん見栄え重視だろうとのこと。
当時の大日本博覧図も見せて頂きました。
たかだか100年ちょい前ではありますが、やっぱり面白いですね。 (配信:2022.9.22
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