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《Web版》岸波通信 another world. Episode9

ミステリアス・ムーン2


(BGM:「DEEP BLUE」 by Luna Piena
【配信2000.6.28】
   (※背景画像は(アダムの最初の妻)リリス)⇒
     ジョン・コリア作

  The Mysterious Moon 2

 こんにちは。「ロマンサイエンスの夢先案内人」岸波です。

 貴方をまたも“the roman science of the cosmos”の世界へご案内します。

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 太陽系第五惑星フェイトンを破壊し、月のコアを表面に溢れさせた太古の太陽系を襲った“宇宙的災厄”とは、いったいどんなものだったのでしょう?

 その話題の前に、地球の「もう一つの月」について触れておきましょう。

もう一つの月

もう一つの月


 

 

1 第二の月“暗黒のリリス”

  時は遡り1846年のこと、フランスのトゥールーズ天文台の台長フレデリック・プティは「地球の第二の月」を発見したと大々的に公表しました。

 それは、その年3月21日の朝のことでした。

 トゥールーズ天文台で、まだ薄明かりの空を観測していたレボンとダジエールの二人が地球の上空を高速で周回している小衛星を視野に入れたのです。

トゥールーズ天文台

トゥールーズ天文台

(フランス)

 そして、同じ頃、アルテナック天文台のラリビエールも同じ天体を発見し、地球の「第二の月」という“天文学上の大発見”に驚喜していました。

 プティは、その「第二の月」の軌道を計算し、地球の周りを2時間44分59秒で巡る高速楕円軌道で、最も地球から離れた「遠地点」は3,570km、「近地点」は地表から僅か11.4kmであると突きとめました。

 しかし、プティらがこの「世紀の大発見」を公表すると、早速、クレームが舞い込みました。

 いわく~「地上1万メートル程度の低空軌道であれば、大気との摩擦によって、あっという間に燃え尽きてしまうであろう」と・・・。

 案の定、報せを受けて世界中の天文学者が「第二の月」を観測しようとしましたが、それは二度と望遠鏡に捉えられることはありませんでした。

 プティは、その後も「第二の月」に取りつかれ、「月」の軌道のブレや特異性を説明するために「第二の月」は存在しなければならないとして論文を発表しましたが、世間はもう誰も彼の言葉に耳を貸そうとはしなかったのです。

 ・・・ただ一人を除いては。

 プティの「大発見」から50年も過ぎた頃、SF作家のジュール・ベルヌは、この「第二の月」をテーマとする魅力的な論文に注目し、1902年にそのプロットを用いて「月世界旅行」を発表しました。

 そして、この作品は、ベストセラーとなります。

月世界へ行く

月世界へ行く

(ジュール・ベルヌ)

 こうして、プティの論文は再び世の注目を浴びることになり、世界中のアマチュア天文学者達は、「第二の月」を発見する名誉を我が物にしようと、先を争って望遠鏡を覗き込んだのです。

 このブームは占星学者の興味も引き、1918年、占星術師のセファリアルはこの暗黒の月に“リリス”と名付けました。

 リリスはその暗さのため、ほとんどの場合は直接見ることができず、遠地点付近か太陽面を横切るときしか見えないと考えられました。

(←今日でも、多くの占星術師は、星占いに暗黒の月“リリス”を加えています。)

 そして、ついに1954年秋。ローウェル天文台で“リリス”と目される小さな天然の衛星が、高度700Kmと1,000kmの2箇所に視認されました。

 しかし、このリリスもまた短時間のうちに姿を消してしまいます・・・。

 ジュール・ヴェルヌ(1818~1905)

 フランス西部のロワール河畔、ナントのフェイドー島で生まれる。幼少より科学への好奇心と冒険心を持ち、11歳のとき従妹に珊瑚の首飾りをプレゼントしようと、見習い水夫として船に乗り込む寸前家族に発見され、叱られた逸話を持つ。

 18歳から韻文悲劇などを書きはじめ、のちに科学小説を中心に著作を次々と発表。1863年『気球の旅五週間』で一躍人気作家となる。彼自身探検旅行を何度も体験しながら、『地底旅行』『海底旅行』『海底二万里』『月世界へ行く』『八十日間世界一周』などの傑作を世に送り出した。

 1905年、77歳で永眠。

 ようやく人々は、“第二の月の正体”に気が付き始めました。

 そう・・・「第二の月」は、地球をかすめた流星が重力に捉えられ、衛星軌道に入ったものだったのです。

 このような「短命衛星」は、地球を一回転か二回転するうち速度を落とし、やがて大気圏に入ると燃え尽きてしまいます。

 プティらが見たものも、おそらくこうした短命衛星だったものと考えられます。

 しかしその後、本当の“リリス”は思わぬところから発見されました。

 1956年10月、ポーランドのクラコウ天文台のコルデルスキーは、月の公転軌道上の約60度前方に、個々には観測できないほどの塵粒子がたくさん集まって「雲」のように見える天体を発見したのです。

(←このような「衛星と同一軌道上」を衛星と同じ速さで干渉されずに廻る天体を“トロージャン天体(衛星)”と呼びます。)

 それは、月の大きさの約4倍の「2度角」ほどに広がっている「暗い雲」で、地上からの高倍率望遠鏡では、「拡大しすぎて」見えなかったのです。

暗黒の月リリス

暗黒の月リリス

 この“暗黒のリリス”は、コルデルスキーによって1961年に写真撮影され、1975年には人工衛星の「軌道太陽天文台」6号衛星でも検出され、さらに1990年には、再度、ポーランドの天文学者ウィニアルスキーによって写真撮影されました。

 このようにして、「もう一つの月」は誰も予想しない形で発見され、約一世紀にわたる論争にようやく決着がついたのです。

(←これを「月」と呼べるかどうかは微妙なところですが・・・。)

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2 古ヘブライ神話における“リリス”

 ところで、“リリス”という名前は、キリスト教の教えでは“不吉なもの”として忌み嫌われて来た名前でした。

 紀元前、キリストの弟子達によって“バイブル(聖書)”が編纂されるずっと前のこと、古ヘブライ神話では、リリスは神が創造したアダムの最初の妻(!)とされていました。

(←もともとは、シュメール・バビロニア神話の女神“ベリティリ”をユダヤ人の神話に吸収しようとしたその名残だったと言われています。:中世の文献『ベン・シラのアルファベット』)

 ヘブライの伝承によれば、アダムは獣たちとの交合に飽きて、リリスと結婚したと言います。

バーニーの浮き彫り

バーニーの浮き彫り

(大英博物館所蔵:BC1950頃の作品)

←このレリーフのモデルがリリスとする説もある。
なお、アダムの最初の妻リリス は、
中東ヘブライ神話の豊穣の女神。
キリスト教世界では悪鬼とされた。

 獣たちとの交合は、旧約聖書では罪とされていますが、当時の中東地域では普通に行われていた風習だとも言われます。(『申命記』第27章21節)

 ところがアダムがリリスを力ずくで横たえ“男性上位”の体位を取ろうとすると、リリスはその「粗暴な性行為」を冷笑し、彼を罵って紅海の近くに逃げてしまいます。

 古代の中東地域では“女性上位”が普通の体位でした。“男性上位”の体位が行われ始めたのはキリスト教が女性に快楽を与える性行為を「忌むべきもの」とし、男性優位の社会観を定着させようとしてからです。

 中世、キリスト教の宣教師が世界各地に布教活動を行い、民族慣習を無視して、「女を天にし、自分を地にする男は、呪われてあれ」と伝えたため、アジアやアフリカでは、この体位~「男性上位対面位」を、冷笑を込めて“宣教師の体位”と呼ぶようになりました。

 しかし、こうしたキリスト教の考え方は、やがて中東地域にも根付くようになり、イスラム教の時代になってから一般的になった「割礼」の儀式は、男性の場合、性感を高めるために性器の表皮だけ切除するのに対し、女性の場合には、陰核そのものを切除して性感を奪います。

 このため、今日では「女性の人権に対する暴力」と見なされて、反対運動が起こっています。

 神は多くの天使を遣わし、リリスをアダムのもとへ連れ戻そうとしますが、リリスは頑として応ぜず、改めて従順な“イブ”を作らねばなりませんでした。

 こうして、リリスは「聖書正典」からは姿を消すことになりますが、彼女の娘たち“リリム”は、中世に至るまで世の中に出没し、男性の夢の中に現れては彼らと交合をし、夢精させたのです。

 キリスト教では、「夢精」することさえ罪とされ、それは好色な女デーモン“夢魔(リリム)”の仕業だと決め付けて、「リリム除けの護符」を売り出しました。

 キリスト教の考え方では、快感をむさぼる性行為そのものがタブーとされましたので、この点、イスラム教よりもさらに一段と禁欲的な教義と言えるかもしれません。

 ところで、リリムの体位・・・もちろん、古代中東の風習で広く是認されていた「男性の上にしゃがみ込む姿勢」です。

 このように、キリスト教の禁欲的価値観から「夜の悪鬼」とされたリリスとその娘達ですが、もともとは美しい娘で、古ヘブライの豊饒の女神でした。

 ヘブライ神話のアダムは、他の地域から侵略してきた遊牧民族の象徴であったと考えられており、その侵略に抵抗した定住農耕民族の娘達が、やがて侵略者たちから「醜い悪魔」の姿に貶められて行ったのではないでしょうか。

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3 暗黒星ラゴウ~太陽系に災い為すもの~

 さて、太陽系第五惑星フェイトンを破壊し、月に大きな爪あとを残した「災厄」の話に戻りましょう。

 この地球もまた、地質学や生物学の研究から、幾度もの破局や大絶滅を経験していることが分っています。

 そしてその災厄には、ある程度の“周期性”があることも突きとめられています。

5回の大量絶滅

5回の大量絶滅

 古代インド天文学では、全天の星の中で「日(太陽)」と「月(太陰)」は格別の重要性を持っていました。

 太陽は地に光の恵みを与え、月は人間を初めとする生物の“生体バイオリズム”を支配し、女性の「月経周期」などにも影響を与えて来たからです。

 これら太陽と月に加え、火(皐惑(けいわく))、水(辰星)、木(歳星)、金(太白)、土(浬星・鎮星)の五惑星をあわせて『七曜(耀とも書く)』と呼び、人間の命数や運命を測る占星学を発達させました。

 しかし、これら「七曜」と同じくらい重要な天体として、あと二つ、目に見えない災いの星「ラゴウ」(羅ゴウ→ゴウは日へんに「候」)と光輝く「計都」(けいと:彗星)を認識しており、これらを合わせた『九曜』の体系を持っていました。

 彗星はもちろん、現代でもよく見られる有り触れた天文現象ですが、ラゴウとはいったい何を表しているのでしょう?

鹿児島県清水の「磨崖塔群」

鹿児島県清水の「磨崖塔群」

←左から不動明王、計都星、薬師如来。
かつてその隣に彫られていたと
考えられるラゴウは崩壊し、

現在は存在していない。

 その答えを示唆する神話が、中東地域に残されていました。

 シュメール・バビロニア神話では、「ニビル」と呼ばれる公転周期3600年の“超楕円軌道”を持った巨大暗黒惑星(木星の約2倍の大きさ)が、太陽系に存在し、周期的に太陽系内部まで侵入して災厄をもたらす「天界の戦闘」という伝承が残されています。

(←原文の伝承では星が“擬人化”されています。)

 シュメールの太陽系生成神話によれば、原初、太陽系には「アプス(太陽)」と「ムンム(水星)」と「ティアマト(第五惑星:ロシア学会で言うフェイトン)」の三つの天体しか存在せず、後に「ラハム(金星)」、「ラーム(火星)」が、そしてティアマトの外側に「キシャル(木星)」、「アンシャル(土星)」が、また遥か彼方に「アヌ(天王星)」、「エア(海王星)」が生まれたとされています。

(←地球と冥王星はまだ無い。)

 そしてある時、外宇宙から暗黒惑星「ニビル」が飛来し、太陽系の引力に捉えられて太陽に向けて進路を変え、太陽系内部に迫ってきたのです。

暗黒星ニビルの侵入経路

暗黒星ニビルの侵入経路

(シュメール神話より)

 暗黒惑星ニビルは、海王星や天王星に重力摂動を与えて地軸を傾けたり衛星を分裂させたりし、土星の最大の衛星であった「ガガ(冥王星)」を海王星の彼方に弾き飛ばして「惑星」とした後、第五惑星ティアマト(フェイトン)との衝突軌道に入りました。

 ニビルとの衝突により、ティアマトは真っ二つに粉砕され、その片方は「これまで惑星の無かった場所」に吹き飛ばされ、また、ティアマトの衛星であった「キング」も、凄惨な破壊を受けながらもティアマトの残骸とともに、同じ空間に飛ばされます。

 このティアマトの残骸が「地球」を生んだもので、キングが「月」になったとシュメール神話は言います。

 そして、「ティアマトの尾(割れた半分)」は粉々に“槌打たれ”、ラーム(火星)とキシャル(木星)の間をリング状に取り巻くアステロイド群になったとされています。

 一方、ニビルは、「太陽の鎖に繋がれ」(惑星として捉えられ)、太陽系最外縁部の深遠から、内太陽系にわたる長大な超楕円軌道を獲得し、太陽系の惑星に、周期的な“宇宙的災厄”をもたらし続けていると言います。

暗黒星ニビル

暗黒星ニビル

(イメージ)

 月の起源については、現代宇宙物理学の定説になりつつある原始惑星オルフェウスとエウリディケの「巨大衝突説」と違うストーリーですが、そうして形成された「月」の構造を変えるほどの災厄をもたらしたもの・・・それこそまさに、この暗黒惑星「ニビル」だったのではないでしょうか?

 また、このシュメール神話の「ニビル」は、果たして古代インド天文学の「暗黒星ラゴウ」と同じものなのか。

 さらには、紀元前6500万年前の恐竜の大絶滅や「ノアの大洪水」、そして聖書が言う創生神話の「神の軍団と堕天使ルシファーの軍団」が争った「神々の戦い」もそうなのか。

 そして、また再び「ラゴウ(ニビル)」は、地上へと降臨する時が来るのでしょうか? それは、果たしていつ・・・?

 今は、太陽系最外縁部の“オールトの雲”の彼方にいる暗黒星は、ハッブル望遠鏡でも観測することはできません。

 暗黒星が再び到来するその時、果たして人類は、災厄を除く術(すべ)~「ゼウスの神の雷(いかずち)」を手にしているのでしょうか?

 全ては、「神のみぞ知る」・・・

 

/// end of theEpisode9「ミステリアス・ムーン2」” ///

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《追伸》 2003.5.11

 古代日本の荒ぶるカミ「スサノオ」もまた“ラゴウ”と重ね合わせて考えられるものの一つです。

 古事記・日本書紀では、太陽の神「アマテラス」と月の神「ツクヨミ」とともに「三貴子」に数えられ、その弟とされるスサノオですが、暴風の神とも海の神とも言われ、はっきりした性格が分りません。

 「高天原(たかまがはら)神話」では乱暴の限りを尽くす悪神として描かれますが、「出雲(いずも)神話」ではヤマタノオロチを退治する善神として描かれるなど、性格が全く反対になります。

 アマテラスとツクヨミが天体を表すことから、スサノオもまた何らかの天体現象を表すものではないでしょうか。

 一方、ラゴウは、インドの古聖典「アタルヴァ・ヴェーダ」によれば、竜のような頭でいくつもの尾を持っているとされ、まるで「彗星」を想わせる姿をしています。

 さらに、ラゴウが天空に昇ることになった経緯を明かす次のようなエピソードが「マハーバーラタ」にあります。

 マハーバーラタにおけるラゴウ神話

 神々が大海をかき混ぜて不死の水を作っていた時に、乱暴者のラゴウがこの水をこっそり飲んでしまい、日神スーリャと月神ソーマがそのことを大神ヴィシュヌに知らせると、怒ったヴィシュヌは巨大な円盤を投げつけてラゴウの身体を真っ二つにした。

 ところが、既に「不死」を獲得していたラゴウは“暗黒星”として生き続け、日神と月神への復讐のために「日食・月食」を起こすなど、宇宙秩序を乱す天体となった。

 これらから想起されるイメージは、ずばり彗星。

 「スサノオ」は「彗星ノ王」と表記することもでき、ラゴウが彗星の巣である“オールトの雲”から飛来する時に、多くの彗星を従えて戻って来る可能性は十分あります。

 宇宙的災厄と世界の神話との関係は、僕もまだ十分に研究をしていませんので、まだまだ勉強の余地がありそうです。

 “ミステリアス・ムーン”の1・2編をお届けしました。本当はまだまだ続きがありますが、いずれ別の another world. で書きたいと思います。

 

 では、また次回のanother world.で・・・See you again !

ヘール・ボップ彗星

ヘール・ボップ彗星

←1997年に飛来したこの彗星は、
20世紀最大規模の彗星だった。

 

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To be continued⇒ “Episode10 coming soon!

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