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「Believe」Blue Piano Man
Photo :「鶴ヶ城」

  白虎隊  (詩:不詳)

 霰(あられ)のごとくみだれくる
 敵の弾丸(だんがん)ひきうけて
 命を塵(ちり)と戦いし 三十七の勇少年
 これぞ会津(あいず)の落城に その名聞えし白虎隊

 味方(みかた)少なく 敵多く
 日は暮れはてて 雨暗し
 はやる勇気はたまわねど 疲れし身をばいかにせん
 倒るる屍(かばね) 流るる血 たのむ矢玉もつきはてぬ

 残るは わずかに十六士 「一たび あとに立ち帰り
 主君の最後(さいご)にあわばや」と
 飯盛(いいもり)山によじのぼり
 見れば 早くも 城落ちて 焔(ほのお)は天をこがしたり

「臣子の務はこれまでぞ いで いさぎよく死すべし」と
 枕(まくら)ならべて こころよく
 刃(やいば)に伏(ふ)しし物語
 伝えて 今に 美談とす 散りたる花のかんばしさ

 

早朝の鶴ヶ城(朝5時半)

 

前日、家元を案内した会津蕎麦「桐屋」

 

エクスカーションのコースにした県立博物館


三の丸入り口:雲ひとつない青空

 

三の丸入り口:立て看板

 

全国から集った人々


麟閣遠景

 

呈茶席の風景

 

扁額の除幕を待ちわびる人々(9時)


扁額の下で(中央:千宗守お家元)

 

扁額の除幕(家元と菅家市長の握手)

 

 

 

葉羽 千利休が秀吉に切腹を賜った後、千家の命数は後継者である娘婿千少庵に託されました。その少庵は、利休七哲の一人、会津藩主の蒲生氏郷に預けられ、鶴ヶ城内に建造された茶室麟閣で三年を過ごします。

 やがて、秀吉の怒りが解け、少庵は京へ戻って千家再興に尽力し、そこから表・裏・武者小路の三千家が生まれました。

 それから五百有余年、今回の会津茶会に先立ち、武者小路千家千宗守宗匠が少庵ゆかりの茶室麟閣に扁額を寄贈したことで、遂に三・千家の扁額が千家のルーツに揃うことになりました。

 では、今回の四季彩々のテーマが、何故「白虎隊」なのか?

 前夜祭のレセプションにおいて、会津の歴史を重んずる千宗匠の大英断により、これまでめでたい席にはタブーとされてきた切腹のシーンを伴う「会津白虎隊」の演舞が初めて許されたのです。

 「忠」を信条とし「義」に殉じた少年剣士隊白虎隊は、会津の誇りそのもの。そして、千家福島官休会が準備した道具もまた、軸は直斎一行の「ほへる(吠える)」、茶杓は一翁作「一太刀」、茶碗は「若武者」と会津士魂を表すものでした。

 2004年10月・・・反骨の会津魂と三・千家の茶道が、五百年の時を越えて再び邂逅したのです。

(2004.10.11)

    

葉羽 実はこの前夜、会場の設営を請け負っていた業者がミスをおかし、徹夜作業で完成が当日早朝までずれ込みました。

 たまたま臨時に「会場係」となっていたケイコに付き合って僕とユウキも一緒に寝ずの立ち合いをし、そのまま本番に突入することに。

 翌日、ユウキは風邪をこじらせて寝込み、ケイコはストレスと体調悪化で緊急入院(!)。

 僕はと言えば、平気な顔をして家元に同行し、案内役(当時、会津勤務)を務めましたが、心中穏やかではありませんでした。

 ま、今となってはいい思い出話ですが(笑)

  なお、背景写真は、その後に完成した赤瓦の鶴ヶ城です。

(2023.5.29追記)

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