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"ホシノキセキ" by -WindSphere-

 

(丸山芳子)“精神の<北>へvol.3”のトークセッション2日目に行った二組目のクロストークです。

 

【2014/9/7】異分野クロストーク 2『北を向いて、歩こう』
 千葉奈穂子(アート)x 山中雄志(歴史考古)

千葉:この場所(高森山という県道・会津若松―北塩原線の西側の小高い丘)の古墳は喜多方市内の常世地区という場所なのですが、名前から衝撃的なインパクトをまず感じましたし、丘全体が墓地になっていることに衝撃を受けて、見守ってもらっているというか見下ろされているという構図にまずびっくりしました。

山中:特に古い古墳というものは自分が支配する地域、もしくは常に見られる小高い地域に作るのが普通でして、不思議なことに古墳のある所はその後も、聖なる場所とか特別な場所というのがあるのでしょうかね、お墓やお寺や神社があることは非常に多いです。 古墳時代の文化の中心は関西で、それから見るとこちらはずっと北の方になります。 漢字を使う所では“北”はネガなイメージがありまして、北という字はもともと背くとか逃げるとかあまり良いイメージがないみたいですね。これは中華思想によるところもあるのですが、あと漢民族が北からの狩猟民族や北方民族に酷い目にあっているので北に対してそういうイメージができたのではと思います。 北に住む人のことを大和朝廷は蝦夷(えみし)と呼んでいるのですけれど、蝦夷というのは勇猛な猛き人々、禽獣に近いイメージで古代は捉えられていて、時代が下るに従ってそういうイメージは凄く強くなります。 去年掘られた家西遺跡は古墳時代の最も初めの頃の1700年ぐらい前の時代の、ちょっと物議を醸し出しそうな遺跡なのです。・・・北陸や関東から入ってきた土師器(はじき)というツルツルの土器と、弥生時代になってからも頑固に縄目をつける東北の土器が、一緒に出てきてしまいました!この両方は一緒に出てはならないくらいの問題があり、どれくらい違和感があるかというと、私がここで喋っているよりもっとアウェー感、仏壇の中に十字架が立っているような感じですね。(笑)要するに、ここにはどうやら四方八方からものが入っている状況だった模様です。北の文化というのは消えないできちんと生きている、意識を持ち続けていると言えるのでしょうかね。

千葉:私は喜多方のとても気になる山首神社を訪ねたのですが、大変な雰囲気を醸し出していまして…、東北東を向いていましたけれども、あの辺はどのような所なのでしょうか?

山中:会津地方では最北端にある古墳群で、・・・普通だったら東か南を向くのですが、喜多方地方には北向きの神社が5、6社ありまして、その中でも北東を向いている奇妙な神社ですね。喜多方の神社が何故北向きになるかというと、越生神社というのがあるのですが、それは北を向いていまして、北からの民族が攻めて来るのを抑えるために北を向いているという伝承のある神社ですね。この山首神社、参道の北東側に大仏山があります。常に北の方からの通路・・・その抑えなのかなと私は勝手に妄想しておりました。

千葉:私の出身は岩手県水沢市の跡呂井地区というところで、小さい時からアトロイとかアテルイの話は聞いていたのですが、高校三年生の時に巣伏の戦いから1200年祭があって、その頃から水沢地区とか岩手県の方では結構アテルイを注目しているような感じがしました。北の勇者みたいなところも考えてみたいなと思っています。最後に一言、山中さんにとって“北”とはなんでしょうか?

山中:“北”というのはうんと大事です。北極星。多分北極星がなければ文明は生まれておりませんし、船も動けない。あとは人間というのはアフリカから出たと言われていますが、不思議なことに北を目指すところがあります。“北”というとある意味では指針、進む方向性を導いてくれるところです。私の歴史の分野で言うなら、まだまだ謎の部分が沢山ある、そういう意味で宝の山。そういうところです。

葉羽 このクロストークの詳しい内容は、来年発行される記録集に掲載される予定です。

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