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その70

昭和青春行、廃線列車逆走中

 前号の写真は麻雀の配牌だったが、マチは七ーソウか。
(これより心理描写的つぶやき表現)

「リーチをかけないでダマテンで待とう」(しめしめ)
「マチはひとつだ。見逃すな」     (集中、集中)

「煙草でも吸うか」          (余裕をよそおう)
「いや、待て。テンパイ煙草と思われる」(平常心、平常心) 

「ここは我慢だ」           (忍耐、我慢) 
「えーい、ひけ」           (気合いだ)
「この手触りは違う。捨てるしかないか」(モーパイ、残念)

「トイ面、やば」           (今更、降りるもんか)
「えーい。きれ」           (持ってけ、泥棒)
「セーフ。よかった」         (ラッキー)

 隣から「つも」         (オー、マイゴッド、ファザー)
「♪カワイイ顔して、あの子、わりとヤルもんだねと」
(と負け惜しみ)

「♪私、待つわ、いつまでも待つわ」(で、誰かに先にアガラレル)

 アミンだが、アミンナがみんな、人生は思う通りにはいかない。

 こうして人は強くなるが「♪あなたの夢をあきらめないで」をマに受けて不幸になる事はよくあるので要注意だ。

 麻雀、パチンコ、ビリヤードなど煙草プカプカ喫って長時間、室内で過ごす。懐かしい昭和の風景だが、どう見ても非健康的だ。

 数時間のつもりが、半日、一日とずるずる延長してしまう。

 時間を無駄にしてしまったと後悔するが、真に反省はしないので今も無駄に上野で水を撒いている私だ。

 麻雀もパチンコもやらなくなって久しい。ビリアードは学生時代に友人に誘われて何度か経験したが、早い時期に自分には才能がないと自覚してやめた。

 将棋、囲碁、花札など小学生の頃から親に教えられた。男三兄弟だったので兄弟間で遊ぶ事が日常的にできた。

 相手が生身の人間なのでゲームの中でカケヒキも学ぶ。

 慎重に行くか強気に行くかは状況しだいだが、年下の弟に負けるとよけいに悔しい。

 何事にも序列がある。亀の甲より年の効だが「年功序列」も昭和の遺
物で今は競争原理と成果主義の時代だ。

「規制緩和」の大号令で得たものもあるが失ったものも多くある。

 何でも一長一短もめんのハンカチーフだが、「♪恋人よ僕は旅立つ、東への汽車に乗って」って根室の人は東への汽車には乗れない。

 それに今は、ほとんどが電車で汽車に乗るのも難しい。

 昔の客車には、当たり前のように窓の下の小さなテーブルのかげに灰皿があったが、あの頃の子供は受動喫煙で自動的に児童喫煙だったのか。

 栓抜きもついていてファンタやミリンダの王冠を開けたが、山本ミリンダという歌手はいない。

「♪ファンタにあげーた、愛の日々を、今更返せーなんて、言わないが」は世良公則とツイストだが、ツイ、フト、思いだす。

 駅では熱いお茶もペットボトルではない急須状の容器で売られていた。

 冷凍ミカンもあって食べると脳天まで冷たさがシミタ。

 ミカンを入れた網の袋は、腕を入れると忍者の鎖カタビラのようで嬉しい。

 最近はJR東日本も新しい豪華列車を運行し、話題になったが新幹線は既にグリーン車に加えて、グランクラスという高級車両まである。

 平成になり日本の階級社会はさらに進化しているが、特別車両を年配のそれなりの方が利用しているのならまだしも、若造やガキが利用している光景をみると昭和のおじさんとしては僻んでしまう。

 昭和の子供は、列車に乗ると親に窓を開けてもらって靴を脱いで車窓から風景を眺めたものだ。

 車内放送で何度も「窓から頭や手を出さないように」と注意があった。帽子が飛ばされたりして親に怒られたものだ。

 今の子供は深々と座席に座ってスマホを眺めてる。

 車内放送もだが構内放送も駅名が独特の言い回しで、よく聞き取れなかったが訛っていた訳ではないと思う。

 ゴミはそのまま座席の下に置くのが普通だった。

 各駅に駅員がいて、改札口、待合室、売店があったが、今は無人駅だらけだ。

 列車に乗り遅れ一人無人駅で数時間も次の列車を待っていたが、待ってる間に廃線になっていたというシュールな夢をみた。

 最近の猛暑のせいか、妄想夢寝台列車、暴走中だが行先の分らないミステリー列車か。

「到着の列車は、逆走列車、昭和行です。黄色い線の内側に下がってお待ちください」

「業務放送、業務放送、風に吹かれて,ナナマル、終了です」

 (2017.5.31)アンブレラあつし

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