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その51

コンド51号

 子供の頃、東京オリンピックから次のメキシコオリンピックまでは随分と長く感じたが最近はすぐに来る山手線だ。

 北京、ロンドン、リオとあっという間で光陰矢のごとしだが年々、時間が加速化高速化している。新幹線からリニアの勢いで次の東京も直ぐに来て、うっかりしていると見逃すというのは大げさか。

 来年のことを心配したら鬼が笑うが4年後の事を書いたら鬼の大わらい海岸か。

 こんなダジャレで笑いをとろうなんて悲しい話だが鬼の目には涙もでない。

 どこまでも、しつこいダジャレだがストーカーが失恋するとシツコイか。

 疾病をシツビョウと読んでシッぺーしたことがあるがシッパイは成功の味の素だ。

 導入で笑いをとらなければならないが、なかなか難しい。まあ、どうにゅかなるさ。

「導入、展開、終末」は文章作成の基本だが手術に例えて「入院、開腹、終末」と置き換えるのは悪い冗談か。

 ブラックユーモアだがノーモアヒロシマはお好み焼きの食べ過ぎでノーモアではない。

 最近福島をノーモアフクシマなどと広島と一緒にする人がいるが、福島は桃や梨のフルーツ王国で果樹でモアモアフクシマにしたい。

 梨と言えば小学時代の運動会で「梨釣り」という種目があった。スタートラインから一斉に走って糸で梨のヘタを縛り釣り上げて走る。

 足が速くてもうまく釣らないと入賞しない。ヘタを下手に縛ると途中で落ちてしまう。

 この競技は全国共通に小学校の運動会にある種目と、長い間思っていたが実はそうではなかった。

 福島市郊外の庭坂地区は昔から梨の生産地だが、そこの小学校でも「梨釣り」はなかったらしい。

 梨の話に落ちはナシだが20世紀の思い出も遠くなっていく。

 運動会で入賞すると胸にリボンをつけてもらえる。

 1位、2位、3位と色違いだが一人でいくつも、つけている人を見ると羨ましい。

 まるでK朝鮮の将軍のようだがリボンを着けているのは軍服ではなく体操着だ。

 教育は基本的に差別的で競争原理なのでヤムナシだがヤムナシという梨の品種はない。

 梨のことを有りの実ともいうが「人生は前進ありのみ」か。

 一歩後退二歩前進だが、頭の髪は一歩づつ後退しっぱなしだ。

 相撲では徳俵でうっちゃりという逆転があるが、このままではドウヒヨウもなく寄り切られてしまう。

 相撲と言えば「巨人、大鵬、卵焼き」で少年期は大鵬と柏戸が横綱の時代だった。

 相撲は日本の伝統国技だが以外と昔からハイテクで「分解写真」と言うロボットダンスみたいなものが放送でよく流されていた。

 スロービデオと違って小刻みに動きが止まる。スロービデオの真似はしやすいが、分解写真の真似はマイケルジャクソン以外は難しい。

 相撲もオリンピックと同じく千秋楽で終わったかと思ったらすぐに次の場所が始まる。世の中の動きが次々と目まぐるしい。

 すべてが早送りでチャップリンの無声映画のようだがプッチンプリンはグリコか。

「グリコ、チヨコレイト、パイナツプル。」

「だるまさんがころんだ。」

「もうーい-かい、まあ-だだよ、もうーい-かい、もう-いいよ」

 昭和の時間はゆっくり流れてたナ。缶ケリをして隠れていたが見つかるまでの時間がやたら長かったナ。

 いつまでも見つからないと思っていたら、いつの間にか終わっていて広場には誰もいなかったナ。

 すぐに鬼に見つかってしまうのも悲劇だが、いつまでも見つからないのは、もっと悲劇だ。次の回が始まれずに皆が迷惑する。

 缶ケリの缶は、やや大きめの缶が蹴りやすい。パイナップルや桃の缶詰だが最近あまりみないし、ミカンの缶詰もなかなかミッカンない。

 昔の記憶が缶詰のように圧縮された時間の中から、時々思い出となって解放される。

 相変わらずの昭和昔話に「もうーいーよ」と言われそうだがグリコといえばアーモンドチョコで「あー問答」無用の駄文を許して欲しい。

 (2016.9.3)アンブレラあつし

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