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その293

花ちりて 葉桜もよし 春、桜

 最近の投稿は文末に「短歌」とナマハンカな反歌を「俳句」にし、セットにして書いている。

 特別な意味はなく面白いからやっているのだが、短歌や俳句を真面目にやっている方から見ると不謹慎なのか。

 短歌の世界を「歌壇」とか俳句の世界を「俳壇」とかいって、それぞれに棲み分け互いに縄張りがある。

 私のように短歌や俳句を同時に並べて書くのは「歌壇」や「俳壇」でもなく「ジョーダン」か。

 短歌や俳句の「二刀流」だが、剣の構えにも「ジョーダン」の構えがあるな。

 昔、読んだ本に桑原武夫の「第二芸術論」というのがあった。

 日本の伝統的な短歌や俳句は、封建的で欧米の文学のような「芸術性」がなく、「第二芸術」つまり格下であるという論文らしく、当時、文学界で論争になったという。

 確かに各主宰者が、それぞれに団体をつくり「序列」らしきものもあり「封建的」ともいえる。

 これって日本の伝統的な「茶道」や「華道」にもアルアルで、いろんな流派があり、師匠から師範、準師範とか階級があって「封建」的だ。

「生け花」も師匠が生けると「サスガ」で、初心者が「生ける」と「マダマダ」になる。

「お茶」も師匠がいれると「ケッコーなお手前」で、初心者がいれると「もう少し修行が必要ね」と言われるが「修行」って「お月謝」の事なのか。

「お手前」だけでなく着ている着物や帯などの、服装も昇進するためには大事な条件で、結局「金」がものをいうのだな。

 歌舞伎や能、狂言などの伝統舞台芸術も、何代目襲名とかいって「ヤクザ」の世界に似ている。

 三味線や琴など音楽の世界も「師匠」がいるが、この芸事の世界、師匠がいないと何か「シショー」があるのか。

 落語の世界で名人や師匠がいるのは納得できるが、たいした芸もない、お笑い芸人を安易に「師匠」なんて言うことには、「失笑」してしまう。

「巨匠」なんて言葉もあって、業界でマツリあげるが、実は「どーってことない」事もアルアルだ。

 美術の世界も「画壇」というのがあって、洋画や日本画、各種団体が驚くほど多くある。

 そして各団体には理事長や名誉会員、会員、会友と序列をつけた組織
がある。

 これって芸術と何か関係があるのかと思うが、有名なエライ人ほど、作品が高く売れる。

 以前、上野公園で水撒きアートをやっていたら、その時、出会った婦人から「あなたは芸術家ですか」と聞かれたので「まーそんなもんです」と返答した。

 そしたら彼女が「私のこと知ってますか」と聞いてきた。

 なんとなく心あたりはあったが、「知りません」と答えたら「じゃーあんた、もぐりの芸術家だわ」と言って彼女は立ち去った。

 自分は有名なので芸術家を名乗るなら、自分の事知って当たり前という態度に驚いたが、業界やマスコミでチヤホヤされると、人間誰でも「傲慢」になるのだな。

 私の路上アートは「第二芸術」以下の「第三芸術」だが、それなりにポリシーもある。爺の意地だ。

「桜さき 花びら散って 空に舞い さらに青濃く 青空の青」
「花ちりて 葉桜もよし 春、桜」 

 (2026.3.28)アンブレラあつし

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