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その15

水撒的煙巻的芸術論

 上野は動物園だけでなく美術館、博物館も多くある。外国人も多く特に中国人や東南アジアの方が大変目立つ。

 これらの国の人に共通するのは干支を持っている事である。

 イノシシが豚になってたり多少の違いはあるが、ほぼ同じであり、文 化を共有している事がわかる。

 干支を地面に描いてやると大変よろこんで、絵の前に座って記念写真を撮っていく人もいる。

 時々「日本の方ですか」と声をかけられる。ある中国人からは「お前は日本人のふりをした中国人だろう」といわれた。

 英語で自分は日本人だといっても信じてくれない。英語が中国訛だという。

 いくらいっても信じてくれず、あきらめて「謝謝、再見」というと勝ち誇った満足した表情で立ち去っていった。

 地面に日中友好と書くと女子学生風の中国人から「中日友好」だと言われた。

 好友日中と逆さに「好」から書いて、こう書くと「日」が「中」の先に書くようになり「中日」「日中」も過程の問題で重要ではないと、つたない英語で説明する。

 その方の顔が急に真顔になり私に中国語が喋れるか聞いてくる。

 重要な事なので中国語で議論したいという。

 中国語はできないと答え笑って立ち去る。

 おじさんが遊びで地面に水を撒いて事が国際問題になっても困る。

 台湾出身の女医で日本にリハビリの研究で来ているという方が、 関心を示し長話する。

 バンクシーのことを知っているインテリだ。なぜ屋外でしかも水で描いているのかと聞いてくる。

 ただの水遊びだといっても納得してくれない。こういう時は、もっともらしい芸術論で煙にまく。

 私にとっては屋外のこの場所がアトリエであり地面がキャンバスだ。

 宇宙の悠久の時間の長さからみれば地面の絵の寿命も美術館や博物館のお宝も五十歩百歩であり「朝露」のようなもの。

 また芸術の本質は「作品」の中にはなく個人の認識の中にあり、今このとき地面の絵を見て鑑賞者の個人の美的直感を揺さぶれば芸術として十分であり形として残す事にこだわらない。

 つまりその現代芸術のインスタレーションの一つで非日常性に反時間性を強調したパフォーマンス。と、も っともらしく喋りまくる。

 英語で話すので何度も繰り返し、身ぶりもくわえながら説明する。

 以前こんな事を紳士風の日本人に話したら、芸術家と誤解されて美術解説を依頼され二つの展覧会を同伴させられた。

 北斎展は混んでいたのでさっさと見て出口のショップで絵葉書をみていたら、しばらくして同伴してた方が出てきた。

 「ずいぶん早いですね」といわれたので「ほとんど以前に見てますから」と芸術家風に答えた。

 近づいたり離れたり、難しい顔やガッテン風の顔をして回れば彼を失望させずにすんだ。期待を裏切ってはいけない。

 今回のアンブレは期待を裏切ってつまらない。

 親父ギャグを振り撒き、昭和懐メロを重ね、意味不明に文章をつなぎ、地域限定の単語も登場し、うけねらいの下心が透けて見える低俗な文章がアンブレラの売りだ。

 上記のゲー術論を、ねちねちと東北訛で、しつこく語ると寺山修司になる。

 口ごもりながら早口で滑舌悪く語ると唐十郎になる。

 昭和って本当にいいですね。さよなら、さよなら、さよなら。

 (2014.12.1)アンブレラあつし

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