(※背景写真:ミュンヘン)↓
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「Fusses Over」

佑樹のMusic-Room
その33旅の終わりに♪の巻」
by ピカイチ君&葉羽
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葉羽 ピカイチ君の「欧州のまちづくりレポート」のシリーズ最終話でございます。

ピカイチ君 研修前の1ヶ月間、ヨーロッパの歴史・まちづくりについて片っ端から本を漁って漠然と斜め読みし、現実に主要なヨーロッパの町並みを15日間、自分の目で見てきた。

 そして感じたことをホテルで、機内でメモし、スケッチした。

 帰国してからもう一度読んだ。

 自分の頭ではとても整理できないほどの歴史・風土・文化、しかし、できる限り整理し、文章にすることがより具体的な課題が見えてくると思った。

モンマルトル

モンマルトル

 明治以降、日本はその都市計画制度を真似してきた。

 しかし、理念のない中での模倣と経済効率からの文明というまちづくりが中心市街地の求心性をなくしてきたのではないか。

 日本人の自己チューのライフスタイルが、車が、まちを分断し人を公共空間から排除し、結局、車にまちを食べられてしまったのではないのか。

 まちの賑わいの原点、即ちコミュニティーを破壊してきたのではないか、日本のまちにとって本当に大切なもの、文化を日本人はまだ獲得していないのではないかと思う。

 日本がまだ縄文時代の頃、既にポンペイでは計画的都市が建設され、道路、上下水道が整備され公共空間や娯楽があったし、中世のまちでは封建領主から勝ち取った自治権のもとで教会を中心とする市壁のなかで人間中心の道路や広場がありコミュニティーがあった。

 近世でもルネッサンス以降、人間賛歌の伸び伸びとした公共空間が整備されてきたし、市民が自分たちの都市像を美しく描ける理念と感性を持ち、豊かさを享受していると思われる。

ローテンブルグ

ローテンブルグ

 そのヨーロッパの長い歴史風土から日本が真似する対象ではないし、安易に真似ることは避けなければならない。

 しかし、なぜそれらの都市が美しいのか大いに参考になったような気がする。

 都市の美しさはワクワクするような雰囲気と、車から解放された通りや広場があり、統一されたコンセプトが公共景観となって表現され、広告・看板といった個人は見えないが、生活が見え、公共空間に市民が誇りを持って楽しんでいる。

 地方分権の時代である。

 あらためて人間の生活にとって街とは、中心市街地とは、そして車との付き合い方、地球環境保全のなかでサスティナブルな都市とは、という大きな課題について、今きちんとした地域性ある理念を構築して21世紀に引き継ぐ責務が我々にはあると思う。

ナポリ湾

ナポリ湾

 日本の厳しい自然環境に土木技術によりこれほどうまく生活している文化はない。

 四季感、水のうまさ、酒、食材の豊かさ、美しい自然・・・・・

 身近にあるかけがえのないもの、歴史的なものから日本人の生活の豊かさの原点を思量する作業が必要だと思う。 

 海外研修での感動の見聞は、自分にとって人間とりわけ日本人にとって日本らしいまちとは何かという新たな宿題を与えてくれた。

「センキュー、ダンケ、グラッツェ、メルシー、そしておおきに、ありがどなし」

葉羽 次回からまたランダム・テーマに戻ります♪ありがとうございました!

《配信:2019.11.10》ピカイチ君 ピカイチ君葉羽葉羽

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