(※背景写真:逢瀬川)↓
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「Fusses Over」

佑樹のMidi-Room
その14「美しい川・子ども達への巻」
by ピカイチ君&葉羽
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ほどなくも 流れぞとまる 逢瀬川 変わる心や 井堰なるらん…新続古今和歌集

葉羽 福島県郡山市逢瀬町多田野の大滝渓谷に源を発して阿武隈川に合流する逢瀬川は、かつて水遊びが出来るような清流でしたが、高度経済成長期の住宅街の急激な広がりに下水道の整備が進まず、さらに不法投棄などの増加により日本でも屈指の水質汚濁の激しい河川となりました。

 そんな中で、平成元年から一人の郡山市民、撞井恒夫さんが川の中のゴミを拾い始めました。

ピカイチ君『川は泣いている』如月四郎著(撞井さんのペンネーム)を見る。

 そこには言葉は優しくても、川が、いや如月四郎自身が嗚咽している。

 平成13年4月、職場においでになる。

  長い白いあごひげをたくわえ、まさに仙人のような悟りきったような優しい瞳だった出会いを鮮明に覚えている。

撞井恒夫さん

撞井恒夫さん

「うちのおやじと同じじゃないですか」

 大正15年1月12日生まれ、軍国主義教育を受け青春を戦争に取られ、出兵の前に終戦になった。

 戦後はお仕着せの民主主義と、消費は美徳という高度経済成長の時代を日銀の職員として全国をまた突走ってきた。

 退職後、「こ鮒釣りし」ふるさとの逢瀬川は自転車・タイヤのゴミの山だった。

「人間として恥ずかしい」

 ~と川に入ったのは13年前のことだ。毎日、まさに格闘である。

 行政も流域市民もマスコミもずっと「変人」「奇人」としか見なかった。

 10年間誰も撞井さんと一緒に川に入ることはなかった。

 「ゴミを拾うと川が喜ぶんだよ。ほら流れの音が違うだろう」川が優しくつつんでくれた。

 元気をくれた。

 夕日が川面に揺らぐころ一日がおわった。

「一緒に川に入らせてください」

 逢瀬川の現実を川から実感として知ること。仲間をつくる。

 しかし、仕事や強制であってはならない。

 行政の仕事として簡単にきれいにしてはいけない。

 ゴミの問題は社会の営み、仕組みやモラルそのものである。

 ゴミの原因者である流域市民が自己中心的な生活と河川という公共空間について、関わりを持ってもらうことが必要である。

 川に入り一緒に汗をかいて、撞井さんと共感しなければわからない。

 しかし陸上の愛護会の清掃とは比較にならない力仕事だ。

 ゴミと格闘する胴長を履いて立ち向かう集団(軍団)が発足した。

逢瀬川

逢瀬川

(国道4号から上流を望む)

「ものの豊かさの結果が今の逢瀬川」

 東北で一番汚い川、ゴミの川、沈殿しているものはまだ拾える。

 下流に流れていくビニール、ペットボトル等は阿武隈川から太平洋へ。

 海には魚がいる。

 いつから人間は自然に帰らないゴミを出して平気に地球を壊す傲慢な希少品種になったのか。

 「心」の豊かさは地域の一人一人の心(意志)そのものであり、子供が川遊び出来る川は自己責任と参加の社会貢献によって育まれる。

「川を見るとその街に生活している人がわかる」

 「水と緑のきらめく・・・」の郡山市のキャッチフレーズは市民一人一人が自らの生活を見直し、子供たちにどんな逢瀬川を残していくのか。

 いま20世紀後半にこれほどまでに壊してきた逢瀬川に、不特定多数の加害者である流域の大人が懺悔から出来ることを実践することしかないのではないか。

「美しい川、逢瀬川」

 市民は逢瀬川で散歩し、自然に癒され、幸せにひたる権利を持っている。

 しかしそれは美しい川を一緒によみがえらせていく、ともに実現していくかぎりにおいてである。

 市民が逢瀬川からの恩恵をきちんと評価し、自然環境・生活環境の改善に積極的に関わっていく役割をになうことが大きな鍵だ。

 難しいことではない。川辺を散策することでいい。

「ほんとうの変人」

 ~こそが世の中を変える人である。

 有史来、先見的に新しい世の中のシステムをつくってきたのは「変人」である。

 あえて撞井さんを敬意と感謝と尊敬の念を持って「変人」と言いたい。

 撞井さんがいわゆる「変人」でなくなった時、流域市民みんなが撞井さんになったとき、撞井さんはいわゆる「変人」ではなくなるのだと思う。

 撞井さんをいわゆる「変人」のままにするか、ほんとうの「変人」とするのかは郡山市民一人一人がこれから選択するのであろうと思う。

 そして、それは、これからの逢瀬川を見ればわかる。

葉羽 撞井恒夫さんの行為に共感し、共に行動を始めたピカイチ君ら『胴長軍団』は、福島県の環境ボランティア活動の草分け的存在となり、彼らの地道な活動はマスコミにも取り上げられ全国放送もされました。

 そして平成14年9月13日の午後、逢瀬川浄化に情熱を傾けた撞井恒夫さんは、しずかにその献身の生涯を閉じました。享年77歳でした。

 筋萎縮症という難病を抱えながら、彼が生涯に引き上げたゴミの量は、推定130トン(乗用車100台相当)という途方も無いものでした。

逢瀬川名物、川底の自転車

逢瀬川名物、川底の自転車

ピカイチ君 昨晩、撞井さんの「始めなければ始まらない」読み返していたら、今朝、天気がいいのも手伝って、逢瀬川を見たくなりました。

 急遽、高速バスで六中前まで乗って、前河原橋からJRまで懐かしく歩いてみました。

始めなければ始まらない

始めなければ始まらない

(撞井恒夫さん遺稿集)

 驚きました。そのきれいさです。

 あれだけみんなして拾った河床に粗大ゴミは一つもありませんでした。

 残雪が太陽に輝き、水面に空が写り、それはとても美しいものでした。

 すばらしい空間、川面を渉る風、葉を落としたニセアカシア、カルガモ・・・。

 思わず「キラキラのもと」を口ずさんでいました。

 あれ以来、みんな継続してきれいにしているんでしょう。

 きれいにすると人はゴミを捨てないのだと思いました。

 また、撞井さんが今の季節に悪戦苦闘していたり、私たちが胴長でバタバタ川に入ったのが嘘のようです。

 本当に撞井さんに見せてあげたいと思いました。

 撞井さんはなんて言うんだろうか。川はなんて言っているだろうか。

 すがすがしい気持ちで1時間程歩いて逢瀬川を後にしました。

 空気の一番きれいな今、川のさざ波は星が瞬くようでした。

美しくなった逢瀬川

美しくなった逢瀬川

(大島公園上流左岸より)

 思いついて、ビックアイF23階のプラネタリウムに行きました。

 暖房の効いた中で冬の星の解説は夢の中に吸い込まれそうでした。

 心地よい疲労のせいか開演10分もしない内に、静かに気を失ってしまいました。夢から覚め気を取り戻したら、終了時間でした。

 この美しい川「逢瀬川」、いつまでも未来に残してあげたいな・・・。

 心が洗われるような、なんかこのうれしさを誰かに話したいような、そんな一日でした。

 『美しい川 子ども達へ』~撞井さんへ捧げる歌~
 (
作詞・作曲 ピカイチ君)

 時を忘れて 魚と遊んだ
 戻ってみれば ゴミの川
 ああ人として 恥ずかしいと
 黄昏染まる せせらぎに一人

 川のゴミは 豊かさなの
 川面は人の 心の鏡
 人はふるさとを 捨てて来たの
 今日も川は 泣いている

 いつから人は 偉くなったの
 鳥も魚も 一緒に生きてた
 生き物は すべて友達
 人は人だけで 生きられないの

 空から雨が 川から海に
 多くの命の たい肥になって
 誰だって皆 土に帰るの
 でも川のゴミは どこに帰るの

 仙人のように 遠くを見てる
 川の流れは 何も話さず
 どこまでも 夢見るひとみ
 美しい川 子ども達へ

ピカイチ君は一番左

一番左がピカイチ君

「ひらひらと川語り部の散る骨は逢瀬の歓喜聞きて流るる」 ピカイチ

《配信:2019.7.10》ピカイチ君 ピカイチ君葉羽葉羽

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