その訃報をニュースで聞いた時「一時代が終わったんだな」と思い、それ以上、追求することもなく、悲しみを覚える訳ではなく、ただ寂しさがあって、一時期熱狂的に読み漁った時とは気持ちが違っているのだと実感しました。

 つかこうへい作品に初めて触れたのは、まだ幼さが残るころ、テレビで観た映画「二代目はクリスチャン」から。

 あの志穂美悦子さんはとても素敵でカッコ良くて、脇を押さえる岩城滉一さんたちも又素敵で、その熱情的な演出は、一発で虜になってしまったんです。

 その後映画「蒲田行進曲」はまだよくわからないながら、あの風間杜夫さん、平田満さん、松坂慶子さんの素敵さに、惚れ直して、思春期の頃、つかこうへいの舞台は観にいけないのもあり、小説化された文庫本を読み漁ったのです。

 「幕末純情伝」最初の話は面白かった。

 その後色々変化球な続編が出ましたが、やはり初めの小説が一番勢いも情緒も情熱も伝わりやすかった気がします。

 私にとって、だからつかこうへいは「劇作家」と言うより、作家でした。

 エッセイも読み漁って、つかこうへいが在日の生まれだと言う事も、どんなバックボーンがあるかまではまだ社会をうっすらとしかわかっていなかった私には、重みは理解できませんでした。

 亡くなったと知った時、若かったのに・・・そうとだけ思いました。

 それが一転したのが、先日NHKの追悼と賛歌の番組で、つかこうへいの舞台人としての特集が組まれていて、生前の活動、特に韓国で、韓国の役者に口立てをして故郷に何かを返そうとするつかこうへいの生前の姿を見ることができたのです。

 つかこうへいの口立ては有名でしたが、どんな風かは見た時が無かったので、ほぼ熱情のまま、ダイレクトに作って行く様は圧巻でしたし、役者にとって特別な人だったのは分かる気がします。

 演劇界では「つか以前、つか後」とも呼ばれるほどの、一大革命を成したそうです。

 でも、私にとってのつかこうへいは、あの小さな文庫本の中に集約されています。

 熱情と、情熱と、人情とストレートでありながら繊細。

 その番組を見ながら山崎まさよしの「セロリ」の歌を思い出しました。

 「なんだかんだ言っても〜 つまりは単純に君の事、好きなのさ」のフレーズ。

 そう、そんな対象だったんです。私にとっては。

 つかこうへいの舞台を一・二度観ることはできましたが、舞台の上でだけ役者が盛り上がっている感じで、舞台には私はついていけませんでした。

 又、成人して他のものに興味が移り、つか作品からは遠のいていました。

 でも、それでも私は、作品を通してしか知らないつかこうへいを、好きだったのかもしれません。

 それは愛でも恋でも尊敬とも違う、単純で、だから力強い「好き」と言う気持ち。

 いつも覚えていなくても、離れて作品も見なくても、心の隅にちゃんと陣取って、ある時期の自分を作った一つであり、好きだった記憶は、ちゃんと残っている。そんな人物像が、私のつかこうへい像だったのです。

 韓国で、つかこうへいの舞台はヒットを飛ばす事ができずに、つかこうへいは千秋楽まで待たず帰国しました。

 それだけ聞くと、現場放棄のようで、どういう人だと、思わずにはいられないのですが、母国に対する思い入れの深さが今回の番組でも鮮明になって、「在日の人」なんて一言では知り得ない、さまざまな想いがそれぞれあるのを思い知りました。

 もう一つ、歌を思い出したのです。

 B’zの「孤独のランナウェイ」

 純粋で、ちょっと弱くて傷つきやすかった面もつかこうへいにはあったのかもしれません。

 俳優の原田芳雄さんが亡くなったのも、訃報が続くと、時代の節目を感じます。

 私たちが育った世代の人たちは、これからどんどん一生を全うする事でしょう。

 でも、確かに、私たちは彼らの一端を見聞きし、思い、感じ取って来たのです。

 それが一部分だとしても、私はつかこうへいが好きでしたし、その思いが又一生を終えるまで、私の胸には密かに静かに座っていることだと思います。

 亡くなるのは寂しく哀しい事ですが、それ以上に生きた証が、これからの私たちの光になるのだと思います。

 つかこうへいに、作品に出合って触れて良かった。

 あんなパッションと熱情の人はそう多くは居ないかもしれませんが、それを受けた私も、又熱情や想いを上手く、そして明快に示せるようにひたすらにやっていけるのかもしれません。

  Written by Akio (2011.8.20up)

「夏の別れ」 Fra's Forum♪

 

 

 

 

UP ▲

banner Copyright(C) Akio&Habane. All Rights Reserved.